ネット小説 【リィンの空】 後日談(1)-1

終章 ネット小説【リィンの空】 後日談【1】-2

 

「アレン。わたし、仕事したい。してもいい?」
「……仕事?」

 

 スプーンを持ち上げるアレンの動きが、止まった。リィンは真面目に頷いた。
 あの事件から1か月。リィンはアレンと、以前と変わらない生活を続けていた。
 アレンの『仕事』を知って、それでもアレンの側にいたいと思った。だからリィンは今でも、アレンの家にいる。

 

「ディーンが警護の仕事を始めたの。それで雑用係を探してるって。だからわたし、やりたいって言った」
「ディーンは雇ってもいいって言ったの?」
「最初は断られた。アレンがめんどくさいからって。どういう意味?」
「さあ。僕には見当もつかないな」

 

 アレンはゆっくりと微笑んだ。

 

「警護の仕事だろう? 駄目だよ。また危ない目にあったらいけないからね」
「警護じゃないよ。警護の、お手伝い。警護をするのはディーンとか、他の人だよ」
「お小遣いが足りないわけじゃないだろう?」

 

 アレンは小さくため息をついた。

 

「僕は反対だ。でもリィンがどうしてもやりたいって言うなら止めないよ。リィンの自由だからね」
「アレンは反対? 仕事したら怒る?」
「怒らないよ。でも、トラブルがあっても僕は責任取れないよ。リィンの意志ですることなら、自分で全部やるんだよ」
「……うん」

 

 口調は優しいけれど、突き放されたような気がする。
 アレンはそのまま、自分の部屋へ消えた。

 

 

 

 

 次の朝、アレンの姿はなかった。昨夜、急な仕事が入ったと言って出て行ったから、まだ長引いているのだろう。
 朝食を取ったあと、戸締まりをきちんとして出掛けた。
 以前ディーンは裏街に住んでいたが、警護の組織を立ち上げると同時に引っ越した。古びたアパートの一室で、小さな事務所を構えていた。

 

「おい、本当にやるのか? アレンの許可は取ったのか?」
「うん。たぶん、大丈夫」

 

 椅子に腰かけながら、リィンは頷いた。古びたテーブルには花が生けてある。狭く古いながらも、小綺麗に見えるよう気遣いが感じられた。もちろん、ディーンがやったわけではない。

 

「たぶん、じゃ心配ね。何かあったらアレンに殺されるよ、ディーン?」

 

 くすくす笑いながら、カトリナがお茶とお菓子を運んできた。ディーンは渋い表情になる。
 経緯はよく知らないけれど、この二人は恋人同士になったらしい。お菓子がチョコレートだと気づいて、リィンは頬を輝かせた。

 

「おまえにやる気があるなら雇ってやってもいいが、仕事は内務だけだぞ? 外へは出るなよ。カトリナから離れるなよ」
「うん」

 

 リィンはチョコを口に入れながら頷いた。ウエハースが入っている。

 

「時計塔の鐘が3回鳴ったら帰れ。街灯がつく前だぞ」
「うん」
「仕事内容をアレンに詳しく話すな。くれぐれも、コキ使われて疲れたとか言うな」
「うん」
「おまえ、聞いてるのか?」
「うん」
「リィン、お菓子まだあるよ。食べる?」
「食べる」

 

 カトリナの言葉に、リィンは大きく頷いた。ディーンがため息をつく。

 

「リィン。何で急に、仕事したいなんて思ったんだ?」
「アレンが毎日働いてるから」
「当たり前だ。男が働かないでどうする」
「でもわたし、何もしてないよ。アレンに役立たずだって、思われたら怖い」
「何言ってる。思うわけないだろう」

 

 ディーンは呆れた声を出す。リィンは紅茶を飲みながら、沈むように言った。

 

「でも、分からない。先のことは、全然」
「アレンは信用ないな。まあ、自業自得か」
「自業自得ね」

 

 カトリナが頷く。リィンは顔を上げた。

 

「アレンは悪くないよ。アレンはちゃんと、優しいよ」
「ああ、分かったよ」

 

 ディーンは苦笑した。

 

「じゃあ明日から来い。簡単なのからやらせてやるよ」
「うん」

 

 リィンはほっとした。お給料をもらったら、アレンに何かプレゼントしようと思った。

 

 

 

 

 次の日から、リィンは働き始めた。
 アレンに告げると、「頑張ってね」と言ってくれた。怒っていないようだった。お昼ごはんを仕事場で食べるようになってから、7日が過ぎた。

 

「資料の整理、だいぶうまくなったね」

 

 カトリナが笑みを浮かべた。

 

「リィンは字、書ける? 書けるなら頼みたい仕事があるんだけど」
「読めるけど、まだ、書けない」

 

 リィンはうつむいた。読み方はアレンに教えてもらったが、書くことまではまだできていない。書く仕事は全部カトリナが受け持っていたが、最近依頼が増えて、傍目にも大変そうだった。

 

「お仕事が増えるのはいいことなんだけどね」
「練習する。書けるようになったら、やらせて」
「うん、ありがとう。でもそんなに急がなくていいよ」

 

 ディーンはいつも外で仕事をする。他にも裏街の青年が雇われて、それぞれの客を受け持っていた。外勤は危険だから、カトリナとリィンは参加しない。
 けれどカトリナは元々アレンと同じ仕事をしていたから、実は警護の仕事なんて簡単にこなせるらしい。ディーンに禁止されているだけだ。

 

「あれ、おかしいな。この資料、今日の仕事でいるって、ディーンが言ってなかったっけ?」

 

 紐で綴じた薄い資料を、カトリナは持ち上げた。テーブルに置きっぱなしになっていたようだ。
 リィンは首を傾げる。

 

「忘れ物?」
「そうみたい。わたし、届けてくるよ。リィン留守番できる?」
「うん」
「あ、でもちょっと待って。今日お客さんが話を聞きに来るんだった。もう時間ないな。どうしよう」

 

 カトリナが時計を見上げて困った顔をする。リィンは少し考えた後、言った。

 

「わたしが届ける。それとも、お客さんの相手もできるよ。どっちがいい?」
「えっ、リィンが? うーん……。仕事場へ行くのは危ないしな。リィン、お茶出しできたよね? いつもアレンに出してる要領でいいから、お茶とお菓子を出して、お客さんに待っていってもらえる?」
「うん」

 

 リィンは頷いた。カトリナは慌ただしく外套を羽織り、扉を開けた。

 

「じゃあお願いね。急いで戻ってくるから、そんなに待たせることはないと思う」
「うん」

 

 カトリナが出て行ったあと、リィンはきちんと戸締まりをした。もうクセになっている。事務所でするべきか少し考えたが、今はリィン一人だから、鍵は掛けたままにしようと思った。
 しばらくすると、扉がノックされた。お客さんだ。

 

「どうぞ。入って下さい」

 

 リィンは慌てて扉を開けた。スラリとした若い紳士が立っていた。リィンを見て、彼は少し驚いたようだった。

 

「これは申し訳ない。警護事務所を訪れたはずが、間違えたようです」
「ここ、警護事務所。合ってる」
「えっ、そうですか。先日はカトリナ・コリー嬢がいらっしゃったはずだが」
「今、いないだけ。すぐ戻る」
「失礼ですが、貴女は?」
「リィン」
「新しく雇われた方ですか」
「うん」

 

 紳士は納得したようだった。帽子と外套を受け取って、リィンは椅子をすすめた。

 

「今、お茶を持ってくるから、待っててください」
「ありがとうございます。ああ、自己紹介が遅れました」

 

 紳士は椅子から立ち上がり、一礼した。

 

「私はリック・エルマンと申します。貿易商です」
「リック、さん。ぼうえき……?」
「小さな商売ですよ。私は今年29になりますが、リィンさんは?」
「たぶん、14」
「たぶん?」
「親がいないから、正解が分からない」
「そうですか……」

 

 リックの目が痛ましげに細められた。

 

「貴女のような小さな女性が、お気の毒なことです。何かお困りのことがあれば仰ってください。できることがあれば、お力になります」
「ありがとうございます」

 

 リィンは不思議な気持ちで頭を下げた。お金持ちの人は偉そうで、道端にうずくまるリィンを見下す人がほとんどだったけれど、この人は違うようだ。
 お茶を出してしばらく話しているうちに、カトリナが戻ってきた。その後仕事の打ち合わせを無事終えて、リックは帰って行った。
 どうやら明日、警護が必要らしい。朝一番にリックがここを訪れ、そのままディーンと出かけるそうだ。

 

 

 

 

 初めて接客したことが嬉しくて、リィンはさっそくアレンに報告した。ディーンから「アレンに仕事の詳細を話すな」と言われたことを、すっかり忘れていた。
 夕食のスープを含みながら、アレンは微笑んだ。

 

「そう。ちゃんとできたんだね」
「うん。カトリナも褒めてくれた」
「カトリナは元気でやってる?」
「うん。カトリナも、アレンが元気か聞いてたよ。元気って答えたよ」
「それで、お客さんはどういう人だったの?」

 

 リィンはリック・エルマンが貿易商であることを話した。

 

「ちょっと変わったジェントリだったよ。可哀想だから、力になるって言ってた」
「そう。いい人だね」
「でもわたし、可哀想じゃないよ」
「基準は人それぞれだからね。でも僕も、リィンを可哀想だと思うよ」
「アレンも? どうして?」
「いつか教えてあげるよ」
「いつ?」

 

 アレンは空になった皿をまとめながら、言った。

 

「リィンと僕が、離れ離れになった時かな」
「えっ」

 

 リィンは目を見開いた。次の声が出るまで、数秒かかった。

 

「それって、いつ?」
「ごめん。夕食の時にする話じゃなかったね。僕は先に休ませてもらうよ」
「待って、アレン」

 

 リィンは立ち上がって、アレンの袖をつかんだ。

 

「アレン、どこかに行っちゃうの? それともわたしを追い出すの?」
「――リィン」
「やだ。嫌だ。だって、ずっと一緒にいるって言った。アレンも、ここにいていいって言った」

 

 怖くて、体が震える。こんなわがままを言ってしまったら、余計に嫌われてしまうかもしれない。でも、アレンに捨てられたら、どう生きていけばいいのか分からない。
 暖かい家とか、ごはんとか、そういうことではない。アレンがいないと、どうすればいいのか分からない。

 

「リィン。僕は、リィンのことを可愛いと思うよ」

 

 アレンは、袖をつかむリィンの手を、そっと離して握りこんだ。いつも暖かい、アレンの手。

 

「じゃあ、わたしを捨てない?」
「リィン」

 

 アレンはふと、笑った。

 

「捨てるなんて言葉、使ってはいけないよ。僕はリィンを猫の子だなんて思ってない」
「……ごめんなさい」
「昨日、仕事で寝てないんだ。休んでもいいかな」
「うん」

 

 リィンが頷くと、アレンの手が離れた。
 淋しい、と思ってはいけない。アレンは大変な仕事をして、疲れている。

 

「おやすみ、リィン」

 

 アレンはいつも、変わらない。
 でもリィンは変わっている。毎日、どの瞬間でも、いつもアレンのことを考えてしまう。
 それがきっと、淋しさの原因なのだ。
 寒くなったてのひらを、もう片方の手で包んだ。静かな部屋で、時計の針だけが時を刻んでいた。

 

 

 

 

終章 ネット小説【リィンの空】 後日談【1】-2

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る