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「ここに残る……?」

 

 翠玉の双眸が、わずかに揺らいだようだった。急すぎる申し出に、さすがのマルセルも驚いたようだ。リネットは「勝手にごめんなさい」と頭を下げる。
 昨夜はあれからすぐに自室に戻ったのだが、結局朝まで眠れなかった。起床時間になったので、急いでマルセルを起こしに行き、すぐに話をしたのだ。
 マルセルはまだ、ベッドから上体を起こした格好だ。それでもサラサラすぎる金の髪は、寝癖なんて少しもついていない。

 

「おまえの『勝手』はいつものことだが――。ここに残るということは、もう城には戻らないということか?」
「いえ、戻ります! 悪魔を……いえ、本当は精霊なんですけど、その精霊を森に返して、『儀式』ができるようになったら、また城に戻ってきます。だから……帰りがいつになるか、わかりません」

 

 マルセルは沈黙した。その沈黙が、長い。無表情だから、何を考えているのか分からなくて、リネットは早くも怖気づきそうになる。
 でも、言わなくちゃ。
 心が泣いてしまいそうになる。そばにいたい、ただそれだけの理由で、ずっと居続けた、大好きな場所。
 そこに、さよならをしなければいけないのだ。いつかまた、笑顔で戻ってくるために。

 

「だからマルセルさま。もし、わたしの帰りが遅かったら、マルセルさまの騎士を別の人にしてください。リネットはそれでも大丈夫です。マルセルさまは、ご自身のことだけを考えていてください」
「僕は第一騎士を今後も変えるつもりはない」

 

 静かに、だがはっきりと、マルセルは言った。リネットは言葉を失う。

 

「リネットがここに残るというのなら、構わない。自分と向き合うのも大事な訓練だ。エオウィン家には僕から話をつけておこう。心置きなく励んで来い」
「は……はい、マルセルさま」

 

 リネットは深く頭を下げた。こらえていた涙が一粒だけ、零れた。

 

 

 

 

 王子であるマルセルを、一人で城まで返すわけにはいかない。リネットが城までお供して、それからこの森に取って返すことを提案したが、マルセルはあっさり却下した。

 

「私一人で何も不便はない。逆にリネットがいる時よりも早く帰れる」
「ひ、ひどいマルセルさま。それじゃあまるでわたしの足が遅いみたいです」
「違うのか?」
「じゃあ、手紙で城から護衛を呼びます。セシリアに来てもらってもいいし」
「一人でいい。ヒルト、一晩世話になったな」
「いえ」

 

 ヒルトは無表情に頭を下げる。昨夜の柔らかさとは打って変わって、冷徹モードだ。

 

(君たち2人の組み合わせが、オレの感覚には少々キツくてな)
(特にあの、マルセル王子の――)

 

 あの時の言葉と、今の態度。関係があるのだろうか。今度詳しく聞いてみたい。
 マルセルは腰に剣を下げ、青いマントを装着した。これで準備は完了だ。ここでお別れ。今度はいつ会えるか、分からない。

 

「マルセルさま、あの……」

 

 リネットは話しかけるが、それ以上言葉が出てこない。思わず涙ぐむリネットに、マルセルは溜息をついた。そして、わずかに微笑む。

 

「うまくいくように、祈っている」

 

 リネットは涙をこらえながら、コクコクと頷いた。マルセルの後姿が、豆粒のように小さくなって、やがて見えなくなっても、いつまでも見送っていた。

 

「マルセルさま、お一人で大丈夫かな」
「王子の有能さは教会にいた時から聞き及んでいる。大丈夫だろう」
「はい、マルセルさまはお強いです。強いんですけれど……」

 

 リネットは胸のあたりぎゅっと握った。――どうしてか、胸騒ぎがする。マルセルと離れ離れになるから、落ち着かないだけだろうか。10年ほど前初めて出会った時から、毎日欠かさず、マルセルのそばにいたから……。
 いや、違う。何かを見落としている気がする。重要な、何かを。
 だがそれが何なのか思い出せず、リネットは不安げに、マルセルが消えた道の先を見つめるしかなかった。

 

 

 

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