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「精霊を自然に返すって、どういう風にすればいいんですか? 心のドロドロをなくす方法は、えーと、人のためになることをたくさんするとか、ピカピカに掃除するとか、慈善活動とか、そういうのですか?」

 

 真面目に聞くリネットに、ヒルトは呆れたように溜息をついた。

 

「正しいことをするから穢れが取れるわけじゃない。こういうのは足し引きじゃないんだ。穢れの根本を取り除く必要がある」
「それじゃあ、性格をとっても良くするんですか?」
「まあ、当たらずとも遠からず、といったところか。内省に近い。自分を見つめなおして、自分の心の中に潜るんだ。穢れを産んだ根本を見つける必要がある」

 

 リネットは首を傾げた。心に潜るというが、具体的にどうすればいいのか分からない。

 

「仕方ないな。いつまでもここに居すわられても困るから、心に潜るのを手伝おう」
「いいんですか?」
「それはこっちのセリフだ」

 

 ヒルトはまっすぐに、リネットを見つめた。

 

「心に潜るのを手伝ってもらうということは、自分の心を曝け出すということだ。君には人に知られたくない心の内があるだろう。人間なら誰だってそうだ。そういう部分を余すことなく、オレが見てしまう」
「そうなんですか。でも、うん。いいです。かまわないです」

 

 あっさりとリネットはうなずいた。ヒルトは拍子抜けしたようだ。

 

「いいのか? 変わった奴だな」
「だって早く、お城に戻りたいから。一人でやるよりも、手伝ってもらった方が絶対に早いですよ」
「それはそうだが……」

 

 ヒルトは少し逡巡したようだが、やがてうなずいた。

 

「君の覚悟は分かった。それならばオレも、きちんと本気で力になろう」
「ありがとうございます。でもそれって、わたしが覚悟を見せなかったら片手間にてきとーにやるつもりだったって聞こえるんですけど」

 

 不審をあらわにするリネットに、ヒルトは苦笑した。

 

「すまない。いや、オレもいろんな人間を見てきているが、君ほどまっすぐな人間をあまり見たことがないんだ。だからどうして精霊にとりつかれたのか、不思議でな。――ソファに座ってくれ」

 

 リネットは素直に腰かける。ヒルトは背もたれ越しに背後に立ち、リネットの肩に両手を置いた。

 

「これから君は、自分の心に潜る。心は複雑で、底なし沼だ。奥へ潜りすぎると、感情の奔流に呑みこまれ、戻れなくなる可能性がある」
「戻れなくなると、どうなっちゃうんですか」
「そのまま、自分自身に呑みこまれて戻ってこれない。いわゆる、廃人になる」
「……そうですか」

 

 リネットは眉を寄せた。今、心の中でもがいている精霊と同じになるということだ。

 

「だが、そうならないようにオレが手を繋いでいる」

 

 ヒルトの語調が、先ほどよりも和らいだ。安心させようとしてくれているのだろう。彼の片方のてのひらが肩から降りて、リネットの手を取った。大きな手のひらは、熱を帯びていた。元悪魔祓いの力の片鱗がそこにあった。

 

「心に呑みこまれないよう、しっかりと捕まえている。だから恐れずに、自分のすべきことをしろ」
「はい」

 

 リネットはうなずき、そしてゆっくりを目を閉じた。
 やがてゆるやかに、周囲の気配が遠ざかっていった。ソファの触感、室内の温度、窓からそそぐ光、木々のざわめき、鳥の声。すべてがゆっくりと先細り、やがて消えて、そして手のひらを繋いだ、ヒルトの存在感だけが残る。

 

(……わたしの、こころ)

 

 奥へ、深く。
 薄い皮膜。ゆるやかにまとわりつく、羊水のような心地よさ。さらに奥へ――光が舞う、優しくくすぐる、花びらのような記憶たち。
 それはあきれるほどに、マルセルばかりだった。

 

 

 

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