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1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 [13] 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 fin. 後日談

 

(だってずっと見てた)

 

 大好きだから。

 

 初めて会った時から、ずっと、見ていた。
 マルセルにとっては、うっとうしい存在だったかもしれない。でも、そばに置いてくれた。言葉は冷たくても、最後には結局、一緒にいてくれた。
 いつまでも弱いままなのに。騎士の務めを果たせないのに。

 

 さらさら流れる、綺麗な金の髪。
 硝子細工のような翠色の瞳。
 神様に愛されて創られたみたいな少年。
 リネット、と名を呼ばれるだけで、心が高鳴り、そして不思議なほどに落ち着くのだ。

 

 心の中は気持ちよかった。もうずっと、こうしていたいほどに、快い空間だった。
 大好きな人の、永い夢を見ていられる。
 嫌な現実を見なくてすむ。

 

 ―― リネット

 

 ぐい、と手が引かれた。リネットは眉をしかめる。――邪魔だな。

 

 リネット。
 思い出せ。自分のすべきことを!

 

 ヒルトの声が耳朶を打った。握られている手のひらが、熱を帯びる。リネットはハッと顔を上げた。そうだ――こんなことをしている場合じゃない。
 暖かい記憶に、まどろんでいてはいけない。これが心に囚われるということなのだろうか。
 リネットは唇を引き結んで、甘い記憶の花弁を振り切ってさらに奥へ潜る。すると、奥の方に昏(くら)い光がひとつ、見えた。
 闇、だ。
 酷く眩暈がした。胸中を掻き回されるような、乱暴な不快感がこみ上げてくる。

 

 リネット、それだ。
 その中に、精霊が囚われている。

 

 ヒルトの声が、冷静に響く。けれどリネットはそれ以上進めない。
 ――怖い。
 あの闇は何だ。いや、自分は知っている。知っているから、行きたくない。見たくない。
 思い出したくない。

 

(……何を?)

 

 いつまでたっても成功しない『儀式』。
 でも、本当に?
 本当に自分は、儀式に失敗したのか。

 

 『あの時』以来、一度もマルセルは、儀式をしてくれない。
 暴漢に襲われて、初めて儀式を行った。王族とエオウィン家の騎士が儀式を行うと、騎士は通常をはるかに超える力を発揮することができる。
 儀式自体はとても簡単で、いつでもどこでも行えるものだ。騎士が王族の血液を少量、摂取する。それだけだ。

 

 しかし、その瞬間から1か月の記憶が、リネットにはない。
 あの時、いったい何が起こったのか。
 マルセルは、教えてくれない。マルセルだけではない。メイベル女王も、兄のライナスも、誰も教えてくれない。
 リネットだけが、知らない。

 

 ……今回はここまででやめておくか?

 

 ヒルトの声に、リネットはぎゅっと両目を閉じる。……ここで逃げたら、きっと、また負ける。
 見なくてはいけないのだ。きっとあの闇は、あの時の、記憶。

 

 自ら封じていた、禁断の記憶だ。

 

 

 

 

 マルセルは、ブーツの底で荒れた土を踏んだ。
 辺りはすでに薄暗い。夕闇に沈みつつあるこの村には、人の気配がまったくなかった。
 セシリア・エオウィンの報告通りだ。

 

「村人が村にいないのなら――まずはその、理由か」

 

 思索を巡らすように、村を見渡す。せっかく問題の村の近くにいるのだから、ついでに寄っていこうと考えたのだ。部下の報告よりも、自分の目で見る方が確かである。
 地面が酷く、荒れている。まるで、いさかいが起こった後のようだ。
 森が近いこの村は、ほとんどが木造のあずま屋を建ててつつましく暮らしている。秀でた産業もなく、特別豊饒な土地柄でもない。暮らし向きは豊かとは縁遠い村だったと記憶している。
 後ろから風が、吹いた。――その瞬間である。
 マルセルは振り向きざまに剣を引き抜いた。背後に迫っていた人影は、マルセルの早さに息を飲んだ。人影の喉元、その寸前で、マルセルは切っ先をピタリと停止させる。

 

「何者だ」

 

 短く問う。中年に差し掛かる男だった。ひきつった顔で、両手を挙げた。男の手にはナイフが握られていたが、降参の意か、彼はそれを地面に落とした。しかしマルセルは剣を動かさない。素早く男の全身を目で検分する。
 ぼろぼろの身なりからして、旅人か、貧民か、もしくは盗賊か――。

 

「おとーちゃん」

 

 割り込んだのは子供の声だった。4,5歳の女の子が、怯えたように男の足にしがみついていた。彼の娘か。男と同じように、ボロを着て、髪はほつれて固まっている。
 マルセルはわずかに眉を寄せた。グ、と息を詰める。直後、後頭部に鈍い衝撃を受けて倒れ込んだ。
 視界がくらみ、物音が遠くなる。血液の味がじわりと広がった。

 

「た、助かったぜ。この坊主、いやに迫力があって」
「仕方ないさ。こいつの正体は、多分――」

 

 マルセルの後頭部を打ち付けたであろう人物は、そのまま口ごもった。
 遠のく意識を繋ぎとめようとするマルセルの努力は、徒労に終わった。

 

 

 

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