表紙
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 [17] 18 19 20 21 22 23 fin. 後日談

 

「ところでヒルトさん。どうしてマルセルさまのセリフを知っていたんですか? 確かあの会話、朝にマルセルさまの部屋で二人きりで交わしたはずなんですけど」
「――えっ?! い、いや、それはだな、あれだ、そう、それだ」
「何があれなんですか? あっ、もしかして盗み聞きしたんでしょう。そっか、そんなに心配してくれてたんですね。ごめんなさい、ヒルトさん」
「いや心配なんてしてないぞ。君のことが気になって心配でつい立ち聞きしてしまったなんて、そんなことは―ー」
「ありがとうございます、『マルセルさまを』心配してくださって。いくら武に秀でていると評判だからと言っても、マルセルさまって女の子みたいに華奢で可憐だから、そうは見えないですものね。一人で城に返すのは心配ですよね。分かります、その気持ち」
「え? いや、それは違」
「でもああ見えてマルセルさま、力がとっても強いんです。着やせするタイプなんです。だからぐいって引っ張られたり、抱きしめられたりすると、とっても男らしくって、胸がきゅーんとなって……、って、きゃーっ、わたしは何を言ってるんでしょう!」
「……」

 

 リネットは真っ赤になって頬を押さえた。その拍子に、ガラスのコップを手放してしまう。とっさにヒルトとリネット、2人がコップをつかもうとして、おでことおでこがぶつかって、そのままリネットが眩暈に襲われてソファから落ち、それをヒルトが助けようとして――
 気づけばヒルトに押し倒されている格好になっていた。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 リネットは慌てて起き上がろうとする。しかしなぜか、体が動かない。見上げれば、ヒルトのまなざしがすぐ上にある。何かを堪えているような、熱源のある双眸。
 じわり、と零れた水分が、リネットの首を濡らした。

 

「リネット」
「は、はい。なんですかヒルトさん、顔近いです」
「もし君が構わないなら、もう少しここで過ごしてみないか?」
「え、ええっ」

 

 リネットは面食らった。

 

「君には才能がある。精霊にとりつかれたと聞いて、どんなに醜い人間かと思えば、君の心は綺麗だった。……とても」
「そ、そんな。あんなにドロドロで、わたし利己的で自分のことばっかりだったじゃないですか」
「あんなもの可愛いものだ。人間だれしも、あれくらいの欲望はある」
「そうなんですか……そうなんだ……」

 

 リネットはそんなことよりも、今のこの状態の方が気になった。両の手首をヒルトにつかまれていて、身動きが取れない。

 

「君の決意を知っていてこのようなことを言うのは残酷かもしれないが……リネットの清浄な心は、騎士よりも『精霊使い』に向いている。たった3日で精霊を救い出すのは尋常ではない。普通は10日以上かかって少しずつ進めていくものだ」
「精霊使い……? あの青い光と、触れ合うってことですか?」
「ああ、そうだ。精霊使いの力をマスターしてから城に帰るのも悪くないと思う。まだ王国内に精霊使いはとても少ない。城の者は知っている者すらいないだろう。それゆえ、唯一無二の人間になれる」

 

 リネットはまばたきした。たった今、騎士として頑張る決意をしたばかりなのだ。さすがに、そこまで考えられない。

 

「ごめんなさい、ヒルトさん。お気持ちは嬉しいんですけれど、わたし」
「すまない。ごちゃごちゃと理由をつけるのは、男らしくないな」

 

 ヒルトは軽く笑んで、リネットの上体を抱き起した。やっと解放されて、リネットが距離を取ろうと後ろを向くと、そのまま彼の腕に絡めとられた。
 ヒルトは長身だから、背中からすっぽりと、包まれるように抱きしめられる。
 リネットは何が起きたのか分からず、固まった。

 

「あの夜――精霊と悪魔の話をした時から、君のことが気になっていた。そしてこの3日間、君の心に触れてさらに魅かれた。君の寝顔を見つめているだけで穏やかな気持ちになれた」

 

 耳朶に直接、低く、真摯に、伝えられた言葉だった。
 リネットは声が出せなかった。動くこともできなかった。けれど心臓だけは早鐘を打ち続けている。

 

「君があの王子をどんな想いで見つめているのか知っている。けれどオレに少しだけチャンスをくれないか? 精霊使いの力をマスターするまででいい。君ならそれほど時間はかからない。それでリネットの心がまだあの王子にあるならば、スッパリとあきらめよう。それまでオレの……隣にいてほしい」

 

 ヒルトの腕に力がこもる。何もかもを預けて、安心して眠りにつけるような強さだった。
 でも、違う。
 あの腕じゃない。
 リネットはぎゅっと目をつむった。精霊使いの力を手に入れたら、もっとマルセルの力になれるかもしれない。でも、その力はマルセルが望んでいるようなものなのだろうか?
 違う気がする。マルセルはもっと違う何かを、リネットに求めているような気がするのだ。
 だから、言わなければ。この腕をほどいて、「ここには残れません」と、はっきり断らなければ。
 その時である。
 この場の雰囲気や状況を全く無視して、無遠慮かつ暴力的に、外へ通じる扉が文字通り、蹴り倒された。

 

「姉上に何をしている、この外道」

 

 腹の底から響く声を、恐ろしいほど冷徹に言い放ち、セシリア・エオウィンはすでに剣を抜いて、ヒルトの目前に突きつけていた。

 

 

 

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