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 俺には前世の記憶がある。
 はっきり残っているわけじゃない。バラバラのパズルピースのように、断片的に残っているだけだ。

 

 その頼りない記憶によると、俺は東京に住む若手リーマンだった。
 数多くの失敗の果てに、営業という仕事がやっと面白くなってきたころ、25歳の時に交通事故で死んだ。
 高速道路を走行中に、目の前で大型トラックが追突事故を起こしたのだ。まったくもって、運がない。

 

 だからこそ、第二の人生は充実した人生を送ろうと心に決めていた。
 その第一段階として、市内警護隊に入隊したのである。

 

 警護隊とは、日本でいうところの警察だ。ただしこちらでは領主の正規軍に組み込まれているため、軍人ということになる。

 

 正規軍への加入試験は非常に厳しい。命を張る代わりに衣食住を保障され、士官まで上がれば高給であるため、腕に少しでも覚えのある男たちはこぞって試験を受けに来るからだ。二浪、三浪は当たり前の世界である。

 

 今世の俺は田舎の農村で生まれたが、前世の記憶があるおかげで幼いころから頭の出来が良く、要領も良かった。
 さらに体格にも恵まれて、取っ組み合いなら現役の軍曹とやりあえるレベルだ。銃も剣も平均以上に扱える。もちろん生来の資質に甘えず努力を重ねた結果である。
 よって、難関である加入試験は、一発合格だった。

 

 実は前世でも、ガキのころから警察官に憧れていたのだ。
 前世では周囲に流されるようにしてなんとなくサラリーマンになったが、今の人生ではちゃんと夢を叶えようと心に決めていた。

 

 部屋着に着替えて洗面所で顔を洗ってから、寝室を覗いてみる。アリスはよほど疲れていたのか、ブラウスとオーバースカートを着たまま眠っていた。
 コルセットやパニエはどうしたのだろう。まさか着けたまま寝ているのだろうか。苦しくなければいいが。

 

 つい気になって、あまりよろしくはないと思いつつ、俺は彼女の寝顔を覗きこんだ。窓から差し込む青白い月明かりに、ふっくらした頬が照らされている。

 

 アリスは枕を頭に敷くのではなく、両腕で抱きかかえるようにして眠っていた。寝顔は穏やかとは言いがたい。形のいい眉がわずかにひそめられている。眺めていると、こちらまで切なくなってくるような寝顔だ。

 

(ああ、そうか)

 

 なぜ先ほど、前世の知り合いに似ていると感じたのか、分かった。
 泣き顔が似ていたのだ。

 

 前世の俺には、5歳年下の幼馴染がいた。
 彼女は躾の厳しい両親に責められると、決まって泣きながら俺の部屋に来て、そのまま眠ってしまったものだ。
 さすがに中学生になってからは来なくなったが、道ですれ違えば彼女は笑顔で駆け寄ってきた。

 

 アリスが小さくうめいて、寝返りをうった。月明かりに白いうなじが晒される。

 

「……」

 

 俺は速やかに寝室を出て、きっちりと扉を閉めた。
 戸棚からアルコールの瓶を取ったところで、玄関のベルが鳴る。

 

「お疲れー。あの子どうなった?」

 

「もう寝てるよ」

 

 エヴァンにもアルコールをつぎ、並んでソファに腰を下ろす。

 

「捜索願出てないかこっそり調べてみたけど、なかったよ。ヘタな騒ぎになってなくてよかったね。これ以上失点重ねられないでしょ」

 

 確かに、スリ小僧を見逃してからというもの、周囲からの風当たりが強い。特に副所長からは目の敵にされている。近々手柄を立てないとマズイなと思っていた矢先だった。再び問題を起こしたりするなどもっての他だ。

 

「行方不明のご令嬢と一晩過ごしたとなると、出世コースから外れるどころか、地下倉庫に回されて一生書類整理だね。あのまま無理にでも詰所にしょっぴけばよかったのに」

 

「あの状況じゃ、そうもいかなかったろう」

 

「僕なら脅しつけてでも詰所に行ってもらうけどね。
 あっ、もしかしてあの子のこと気に入ったの? 可愛い子だったもんね」

 

「おまえなぁ」

 

 俺はアルコールを口に含んだ。熱い固まりがのどを滑り落ちていく。

 

「貴族のご令嬢なんて、住む世界が違うだろう。彼女は明日の朝、自分のいるべき場所に帰るさ。こんなボロアパートじゃなくてな」

 

「なにもそんなに真面目に答えなくても……。まるっきり僕の冗談なのに……」

 

 しかし翌朝、予想外と言うべきか想定内と言うべきか、とにかく困ったことが起きた。
 アリスは、ソファでまどろんでいた俺の前で仁王立ちになり、「家には帰らない」と言い切ったのである。

 

 

 

 

「家に帰すつもりなら、あなたに無理やりアパートに連れ込まれたと証言するわ」

 

 アリスはタチの悪すぎる脅しをかけてくる。しかし彼女の表情は切羽詰まっており、足もとは疲労か心労かでフラついているのだ。

 

「落ち着け、アリス。まずは朝食を食べて、じっくり話し合おう」

 

「話し合いの余地はないわ」

 

 強気に睨みをきかせたあと、アリスはわずかに声を震わせる。虚勢のあとに見せる弱々しさは、何とも卑怯だ。

 

「ずっとここにいさせてとは言わない。次の行先が決まるまでよ。だから、放り出さないで」

 

 どうやら彼女は、俺の弱いところを突く術に長けているらしい。
 この日から俺は厄介な居候を抱えることになってしまった。

 

 

 

 

「あははは、バカだなぁクライド」

 

 朝イチの警邏で相棒に相談すると、一笑に付された。

 

「さっさと身元割り出して、親に突きかえしなよ。
 貴族のご令嬢なら数も多くないし、すぐに判明するんじゃない?」

 

「しかし、今朝になっても捜索願が出されていないことが気にかかる。
 普通自分らの娘が行方不明になったらすぐさま警護隊に通報しないか?」

 

「さあねぇ。やんごとなき方たちの考えは、僕には分からないな。もしかしたら、あんまり大事にされてない娘さんなのかもね。――あ、大丈夫ですか?」

 

 エヴァンは杖を落としたおばあさんに手を貸して、彼女をにこやかに見送った。おばあさんは何度も頭を下げつつ、大通りの向こうへ消えていく。

 

「彼女がどの家のご令嬢なのかだけでも調べておこうか?
 僕、午後から非番だし」

 

「……いや、いい。これ以上深入りすると、泥沼にハマるような気がしてならない」

 

「もうハマってるような気がしてならないけどね」

 

 詰所に戻り、事務仕事やら事件の出動やらをこなし、ヘトヘトになったころ、夕時を知らせる鐘が曇り空に鳴り響いた。
 薄暗がりの中帰路を急ぐと、自宅にはやはりアリスの姿があった。

 

「おかえりなさい、クライド」

 

 彼女は大人しくソファに座っていた。膝の上に本を開いている。俺が購読している大衆紙だ。
 しかし、特筆すべきはそこではない。彼女の服装である。

 

「アリス。それ、俺の服だな?」

 

「ええ、そう。クローゼットから適当に借りたの。サイズが大きかったから折り曲げて着たのだけれど、変かしら?」

 

 明らかにオーバーサイズの白シャツに、これまたダボダボの長ズボンをサスペンダーで吊っている。袖と裾は何重にも折り曲げられており、お世辞にも「変じゃない」とは言えなかった。

 

 変じゃない。変じゃないが。
 華奢な体に男物の服を纏う頼りない姿が、こうも庇護欲を誘うものだとは思わなかった。
 こんな姿で四六時中うろつかれては、たまったものではない。沼が深くなるだけだ。

 

「分かった、アリス。次の休みに君の服を買いに行こう。古着しか買えなくて申し訳ないが」

 

 イチから仕立てると、ドレスじゃなくても給料の半分が飛んでいく。

 

「みくびらないで。自分のお金で買うわ」

 

「見たところ、カバンどころか財布も持っていないようだが」

 

「ドレスを売るの。コルセットもパニエも、帽子も売って、その代わりに平民風のものを揃えるわ」

 

「君は上流階級から平民になるつもりなのか?」

 

 それはこの世界において、正気を疑われる行為だ。
 アリスは顔をうつむけて、ぽつりと言った。

 

「何でもいいの。今までと違う自分になれるのなら」

 

 16,7の娘にしては、考え方が幼い。これでは心を鬼にして「出ていけ」と追い出すこともできないじゃないか。
 まるで俺の心の声が聞こえたかのような質問を、アリスは口にする。

 

「そういえばクライド。あなた、おいくつなの?」

 

「22だ」

 

「えっ。30近くだと思ってたわ。老けてるのね」

 

 彼女から言わせてみれば、アリスが幼いのではなく、俺が老けているらしい。

 

 

 

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