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 次の休日、顔見知りの女性から服を借りて、アリスに着せた。
 長袖の上に、編み上げのベストを重ね、足首までのスカートを合わせる。その上にウールのショールを羽織った。

 

 一般的な平民女性のいでたちであるが、人形めいた外見のため、とにかくアリスは目立つのである。

 

 そんな彼女を連れて中央広場の市(いち)に赴き、古着をひと揃い購入した。
 途中何人か顔見知りに会い、冷やかしという名のやっかみを受ける。職場まで噂がいかないといいが。

 

「代金はわたしが払うと言ったのに」

 

 噴水近くのベンチである。小春日和とも言えるいい天気だからか、人が多く賑やかだ。
 ランチ時だったので、スタンドでホットドッグを四つ買い、アリスに一つ手渡した。残りの三つはもちろんすべて俺が食べる。

 

「ここらの市で、あんな高価なドレスが売れるわけないだろう。それ相応の買い手に掛けあわなきゃ駄目だ。
 君も貴族なら、ご用達の質屋や買い取り屋があるだろうに」

 

「あるけれど、行きたくないわ。顔見知りだもの」

 

「というわけで、ドレスは売れない。よって君は一文無しだ。だから代金は俺が払った」

 

 あえて意地悪な言い方をしたのは、彼女に世間を教えるためである。上流階級の人間が平民の真似事など、とうてい無理な話なのだ。

 

 仮にドレスを売ることができたとしても、古着代や昼食代くらい、こっちが払うのは当然だ。こちらの世界は紳士淑女の国、徹底したレディファーストの国なのだ。

 

 ホットドッグを二つ食べ終えたところで、アリスがまだ一口も手を付けていないことに気が付いた。途方にくれた風情で、ホットドッグと俺を見比べている。
 まさか。

 

「……食べ方が分からないのか?」

 

 アリスは顔を赤らめて、こくんと頷いた。

 

 

 

 

 最初こそ大人しかったアリスだが、3日もすると平民の暮らしに慣れて、動き回り始めた。
 それはたいてい、俺を悩ませることばかりだった。

 

 仕事から疲れて帰ってきたら、棚が倒され、本が散乱し、窓が割られていた。どうやらアリスは掃除をしていたようだ。
 彼女は今までの人生で、掃除をしたことがなかったらしい。

 

 さらに別の日、家中に異様な匂いが立ちこめていた。
 黒炭と化した肉が皿に置かれ、得体のしれない液体がぐつぐつ煮込まれている。そして、割るのに失敗した卵がいくつも散乱していた。
 アリスは今までの人生で、料理をしたことがなかったらしい。

 

 また、制服の白いシャツに、ベストの藍色が色移りしていた。
 アリスは今までの人生で、洗濯をしたことがなかったらしい。

 

 この手のネタは枚挙にいとまがない。
 「そういうことはしてくれなくていい」と言い聞かせても、アリスはこう反論してくるのだ。

 

「あなたのためにやってるんじゃないわ。
 あとでまとめて弁償するから、安心していて」

 

 俺は出先でも「今頃やらかしていないか」とハラハラして、次第に仕事に集中できなくなっていった。
 万年筆のインクを補充したつもりがコーヒーを注入していた時には、エヴァンのニヤニヤ笑いを誘ったものだ。

 

 そしてついに、恐れていた事態が起こってしまう。
 アリスのお節介によって、彼女が俺の仕事関係――つまり、犯罪に巻き込まれたのだ。

 

 

 

 

 ヒラの警護隊員はたいてい、節約のために弁当を持参している。俺はその日も大きな弁当箱に昼食を詰めた。
 度重なる心労により、最近の俺はぼーっとしていた。だからつい、弁当を忘れて家を出てしまったのだ。

 

 アパートを出た時点でそれに気が付いたが、いまさら戻るのは面倒だから、どこかで買おうと思っていた。

 

 早朝、冷たい風が吹き抜けて、制服の詰襟(つめえり)を留め直す。馬車が走っていないのを確認して、大通りを横切ろうとした時だった。

 

 女性の悲鳴とともに、若い男がこちらへ向かって突っ走ってきた。彼は女物のハンドバッグを抱えていて、その背後で、持ち主と思われる女性がわめいていた。

 

 実に分かりやすいひったくり犯である。俺が身構えるのと同時に、男は俺の制服に気が付いて顔色を変えた。彼は方向転換して、アパートの方向へ全力で逃走していく。
 その背を追ってダッシュを切った、その時である。

 

「クライド」

 

 妖精のように可憐な少女が、俺の名を呼びながら、アパートから出てきた。結われていない髪が、風に吹かれてふわりと流れる。

 

「お弁当箱、忘れているわよ」

 

「中に入っていろ!」

 

 そう怒鳴りつけたにも関わらず――。
 アリスは自分のところへ逃走してくるひったくり犯に気づき、なんと片手を広げて通せんぼをし始めたのだ。なぜ片手だけ広げたのかというと、もう片方の手に弁当箱を抱えていたからである。

 

 しかも最悪なことに、ひったくり犯は拳銃を隠し持っていた。彼はジャマなアリスへ銃口を向けた。
 直後、俺はホルスターから拳銃を抜き、躊躇なく撃った。

 

「ううっ!」

 

 犯人はうめき声を上げて、 右肩を押さえつつその場にうずくまった。彼の手から拳銃が落ちる。俺はそれとハンドバッグを速やかに押収した。手持ちの縄で彼を確保する。

 

 そして、茫然としているアリスに向けて、感情のままに怒鳴りつけた。

 

「バカかおまえは。撃たれるところだったんだぞ!」

 

「……」

 

 アリスは肩をびくつかせた。

 

「少しは身のほどをわきまえろ。いつも余計なことばかりして、こちらの迷惑も考えてくれ。おまえがそういう風だから、俺は仕事に集中できない。こういうことを続ける気なら、もう出ていってくれ」

 

「ごめんなさい」

 

 アリスの謝罪の言葉を、初めて聞いた。
 エメラルドの大きな瞳に涙をためて、切なげに繰りかえす。

 

「ごめんなさい。もう出ていくから……迷惑をかけて、ごめんなさい」

 

 それでも俺の怒りは収まらない。
 もしひったくり犯の銃弾が、アリスを貫いていたらと考えるだけでゾっとした。

 

 道の上には、弁当箱がさかさまの状態で転がっている。職場に持っていく気にはとてもなれなかった。
 俺は彼女に声を掛けないまま、ひったくり犯をひったてつつ、職場に向かった。

 

 

 

 

 被害者の女性を後輩に任せ、ひったくり犯は自分で聴取を行った。そいつを留置所へ向かう馬車に押しこんだのち、事務処理のために机に向かう。

 

「朝からお疲れさま。あれ、機嫌悪い?」

 

 エヴァンに顔を覗きこまれた。

 

「別に」

 

「そういえばアリスの捜索願、まだ出てないみたいだよ。
 あれから10日近く経つのに、家族はいったい何考えてんだろうね」

 

 俺はアリスの事情を一切知らない。
 しかし、家族同士の仲がうまくいっていないのだろうな、ということくらいは想像できた。

 

「――クソ」

 

 つい乱雑な字になってしまう。
 その日は仕事を手早く済ませて、定時の鐘とともに詰所をあとにした。

 

 雪がちらつく中、アパートに戻ると、すでにアリスの姿はなかった。
 その代わりに、テーブルの上に弁当箱が置かれている。今朝落としてしまったから、きっと中はグチャグチャで食べられたものじゃないだろう。
 しかし開けてみたら、中身は綺麗に整えられていた。
 アリスだ。
 こういう細かい作業は、大の苦手なはずなのに。

 

 出ていくと言った時、彼女は目に涙をためていた。
 きっと、泣きながら、ひとりきりで中身を綺麗に並べ直していたのだろう。
 料理も掃除もできないアリスの、出来る限りの、謝罪の意なのだ。

 

 もしかしたら――。
 本当は、彼女に行く先など、ないのかもしれない。
 上流階級のご令嬢だというのに、彼女の家族は、10日経っても捜索願を出さないのだ。
 もし俺がアリスを追い出したら、彼女は初めて会った夜のように、涙をこらえながら寒さに震えるしか、道はないのかもしれない。

 

(迷惑をかけて、ごめんなさい)

 

 行く当てがなくても、アリスは、俺へ迷惑をかけることを良しとせず、出ていったのだ。
 ――しかも、外は雪だ。
 反射的に、俺は家を飛び出した。

 

 

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