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 だましだましやってきて5日目、ついに休日がやってきた。
 俺は重だるい体を無理やり起こし、洗面所へ向かう。アリスは先に起きていて、キッチンで朝食を作っていた。

 

 顔を洗って鏡を眺めた。疲れきった酷い顔だ。
 警邏中に受けた小さな傷があちこちに重なっているし、手首をかばっているため筋肉が緊張し、体力が削られていた。
 加えて、最近の人手不足による忙しさである。
 結局、ケガする前もふくめて、21連勤してしまった。

 

「朝ごはんできたわよ」

 

 アリスが遠慮がちに洗面所をノックする。

 

「今日病院行くのよね? わたしもついていっていいかしら」

 

「いいよ、子どもじゃあるまいし」

 

 彼女にはケガをしてからずっと心配をかけている。自分のせいだと思っているようだが、この怪我は俺のミス以外何物でもない。

 

 テーブルにつこうとした時、玄関のベルが鳴った。

 

「た、大変なんだクライド君!」

 

 所長専属のイエスマンこと、副所長である。まだ30代後半だというのに、頭頂部が寂しくなっているところがもの悲しさを誘う。

 

「どうしたんですか副所長。朝っぱらから顔色悪いですよ」

 

「今日から例の風邪で、署員がいっきに5人減るんだよ」

 

「ええ?!」

 

 俺だけでなく、アリスまでも驚愕の声を上げた。
 副所長はハンカチでおでこの汗を拭きつつ、

 

「急で申し訳ないが、出勤してもらえないか?
 残りのメンバーは新任ばかりなんだよ」

 

 メンバーの名前を聞いて、確かにその編成だと回らないなと感じた。
 俺は渋々頷いた。

 

「昼からの出勤でいいのであれば、なんとかいけます」

 

「ありがとう! ありがとう!」

 

 副所長は俺の手を取って感謝の意を表している。一方俺は、あきらめの境地だ。
 今から急いで病院に行って、痛み止めを処方してもらえばなんとかなるだろう。

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

 その時アリスが、すごい剣幕で怒り出した。

 

「いきなり押しかけて、出勤してほしいだなんてバカなこと言わないで。
 そこにいる人員でやりくりするのが上官の役割でしょう?
 部下の休みを潰すことが仕事じゃないでしょう!」

 

「し、しかしねキミ……というかキミは誰なのかね」

 

「21連勤してたのよ? 休ませてあげなさいよ。
 もし無理やり出勤させるなら、軍の司法機関にブラック上司がいるって訴えてやるから!」

 

「ヒッ」

 

 気弱なイエスマン副所長は、こういう脅しに弱い。
 彼の顔色が真っ青になるのを見て、俺はアリスを止めた。

 

「おいアリス、その辺でやめておけ」

 

 アリスはきゅっと唇を引き結んでいた。目には涙が溜まっている。
 俺は思いとどまった。
 アリスは潤んだ目で、俺の右手首をじっと見つめていたのだ。

 

 アリスの剣幕に副所長は完全にビビってしまったようだ。

 

「く、クライド君、21連勤だったのかー知らなかったよー」

 

 と愛想笑いをしつつ、慌てて逃げ帰ってしまった。

 

「すぐに病院に行ってきて。家のことはぜんぶわたしがするから、とにかくクライドは休んでいて」

 

 アリスは必死に懇願してくる。
 俺はためらいながらも、彼女の申し出を受けとることにした。

 

 

 

 

 全治1カ月、との診断を得た。
 盛大にひねった挙句、連日無理をしたせいで、酷い状態になってしまったらしい。
 とりいそぎ、まとまった日数分の痛み止めを処方してもらった。

 

 その日は終日、仕事のことを忘れてゆっくりすることができた。
 すべてアリスのおかげだ。
 翌日は仕事に出たが、家に帰ればとても心地のいい空間が出迎えてくれるのだ。

 

 アリスは俺が家でくつろげるように最大限の努力をしてくれた。
 リネンはパリッと洗濯されていたし、ふとんは毎日干されてフカフカだった。
 栄養満点のレシピを調べて、彼女の出来る範囲で、俺好みの味付けにアレンジしてくれた。
 部屋は適度に換気されて、すみずみまで綺麗で、帰ってくるたびに気持ちがいい。

 

 いつのまにか、アリスが整えてくれた空間にいることが一番の安らぎになっていた。

 

「いつもありがとう。アリスのおかげで、ゆっくり休めるよ」

 

「別に、クライドのためにしてるんじゃないわ」

 

 そして、意地っ張りな彼女との会話が、何よりの楽しみになっていた。

 

 

 

 

「そもそもね」

 

 休日、夕食後にソファでくつろいでいると、突然アリスが真剣な表情で仁王立ちになった。

 

「どうしてこんなにボロボロになるまで、クライドが頑張らなくちゃいけないのか、ということなのよ」

 

「いきなりどうした」

 

「だって納得いかないんだもの」

 

 アリスは頬をふくらませる。湯で体を拭いた直後だからか、頬が桃色に上気していた。

 

「いくら流行風邪で人手が少ないと言っても、上官がヒラ隊員の家に押しかけてまで出動を迫るだなんておかしいわ。もしこれがクライドじゃなくてエヴァンなら、あの上官は家に押しかけてこなかったんじゃないかしら」

 

 あまり考えたことはなかったが、確かにエヴァンなら、頼まれてもうまく断るだろう。副所長もそれを分かっているだろうから、家までは行かないはずだ。

 

「エヴァンだけじゃないわ。普通なら断るわよ。でもクライドは頼まれたら断れない性格だから、そこをつけこまれてるのよ」

 

「いや、いくらエヴァンでも、凶悪犯罪によるスクランブルがかかったなら休日返上で出動すると思うぞ」

 

「それは当然でしょ」

 

 俺は座る位置をずらして、アリスを隣に促した。彼女は素直に腰を下ろす。

 

「つまりアリスは、俺が貧乏くじを引いていると言いたいんだな?」

 

「仕事を1人で背負いこみすぎなのよ。責任感が強すぎるの。
 もっと周囲に頼ることができれば、ここまで無理しなくても良かったはずよ」

 

「一理あるな」

 

 同じことを、先日エヴァンにも指摘されたばかりだ。

 

「しかしだからといって、仕事に手を抜くわけにはいかないよ。街の安全がかかってるんだ」

 

 アリスはなぜか、耳もとを赤くして俺から目を逸らした。

 

「そういう考え方は……すばらしいと思うわ」

 

「褒めてくれるのか。珍しいな」

 

「一般論を述べたまでよ」

 

 アリスは小さなあごをつんとそらす。俺は苦笑した。

 

「それで、君は何が気に入らない?」

 

「ケガのことを、職場に伝えて」

 

 俺はアリスに、こうやって懇願されることに極めて弱い。
 彼女の瞳はいつみても宝石のように輝いていて、なおかつその声は、小鳥のように可愛らしいのだ。

 

「せめて、外回りの仕事を減らしてもらってほしいの。お願いよクライド」

 

 そんなことはできない。
 俺のミスで負ったケガのせいで、同僚たちに迷惑を掛けられない。

 

 そう反論しようと思ったが、アリスの必死な様子を見ると、とても言えなかった。
 そして俺はそのままの勢いで、翌朝、副所長にケガのことを報告した。

 

 思い切って、外回りの仕事を減らしてほしいと頭を下げたが、副所長は渋い顔で唸っている。やはり無理かとあきらめたところで、様子を見ていたらしい先輩が突然割って入ってきた。

 

「なんでもっと早く言わなかったんだ、クライド!」

 

 ばん、と副所長の机に両手をついて、先輩のグレンさんは怒りをあらわにする。俺はもちろん、副所長も驚きのあまりとっさに反応できなかった。

 

「どうりで最近、おまえの様子がおかしいと思ってたんだ。全治一カ月だと? そんな状態であの激務をこなしていたのか。
 いいか、俺は褒めないからな。今日からずっと、完治するまで、おまえは内勤専属だ!」

 

「し、しかしグレンさん、俺はそこまでは」

 

「よろしいですね、副所長!」

 

 グレンさんは鬼の形相で副所長を見返った。
 副所長は先輩の勢いに押されて「あ、ああ、そうだな」と首をカクカクとタテに振っている。
 そうすると、詰所にいた隊員たちがワラワラと集まってきた。

 

「ケガしてたってマジっすかクライドさん」

 

「ケガをバカにしちゃいけねーぞ。無理すると一生もんになることもあるんだからな」

 

「俺、今日外回り変わります」

 

 どうやら皆、耳をそばだてていたらしい。俺が茫然としていると、グレンさんが意味ありげな笑みを送ってきた。
 もしかしたら、彼が怒りを見せたのは、副所長をやりこめるための演技だったのかもしれない。

 

 言葉にならない思いがこみあげてくる。俺は深く、グレンさんと同僚たちに頭を下げた。

 

 

 

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