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 荒事(あらごと)がなくなったおかげで、体力がみるみるうちに回復していった。それと比例して、ケガもどんどん治っていく。

 

「やっぱ巡回はクライドと一緒じゃないとしっくりこないなぁ。
 早く治すために、もっとじっくり休んでよね」

 

 エヴァンはそう言って、たまに休みを俺にゆずってくれた。おかげで通院する時間を確保することができた。

 

 そうした周囲のサポートのおかげで、1カ月もたたないうちにケガが治った。「もう大丈夫」と医師から太鼓判を押され、俺は外回りに復帰した。

 

 初日はエヴァンが非番だったので、後輩とともに回る。すると、しょっぱなから少女を無理やりナンパしようとしていたチンピラに出くわした。
 注意したら、チンピラは逆上して襲い掛かってきたので、軽く捻りつぶす。 体の調子はとてもよく、いつもより動けた。

 

 復帰にあたって詰所の皆に深く謝意を伝えたが、それを一番伝えたい人物は他にいたのだ。

 

「ただいま、アリス」

 

 自宅の扉を開けると、アリスが駆け寄ってきた。

 

「どうだったの? 外回りでケガが痛くなったりしなかった?」

 

「うん、大丈夫だよ。ものすごく調子が良かった」

 

 俺はアリスの、綺麗な瞳を見下ろした。

 

「ありがとう。みんなアリスのおかげだよ」

 

「そ――そんなこと、ないわ。だってもとはと言えばわたしの」

 

「今度の休みは、なにかおいしいものを食べにいこう。なにがいいか考えておいてくれ」

 

 泣き虫のアリスが、また目に涙をため始める。
 その時、玄関の扉がノックされた。

 

「今日から現場復帰って聞いて。大丈夫だった?」

 

 エヴァンだった。心配して様子を聞きに来てくれたようだ。
 彼を迎え入れて、アリスが作った料理をみんなで囲むことになった。

 

「アリスが家のことを全部してくれて、いろいろとアドバイスもしてくれたおかげで、いろんなことがスムーズにいくようになったんだ」

 

「ああ、職場でのことは僕も噂に聞いたよ。この頑固者を動かすなんて、すごいなアリス」

 

「わたしは何もしてないわ。クライドが頑固者というところは同意するけれど」

 

 大皿から俺たちの分をとりわけながら、アリスはため息をつく。

 

「クライドは放っておくと際限なく無理するもの。どこかでブレーキをかけないと、倒れてしまうわ」

 

「さすがに倒れる直前には休むつもりだが」

 

「信用がないということにいい加減気づいたらどう?
 はい、どうぞ。お肉多めに取り分けておいたわ」

 

「ありがとう」

 

 俺たちのやりとりを無言で眺めていたエヴァンは、ふいに笑みを漏らした。

 

「なんだか夫婦みたいだなぁ。いつのまにできちゃったの?」

 

「なっ、なにを言い出すのよあなたは!」

 

 アリスが顔を真っ赤にして反論する。

 

「そんなわけないでしょう、勝手なこと言わないで!」

 

「あはは、だってアリス。そうやってムキになって否定すると、ますますアヤシイよ」

 

「怪しくないわ! なにも怪しくないわよ!」

 

「おいおいアリス。エヴァンはからかってるだけだ。マトモに相手するな」

 

「だ、だってエヴァンが」

 

 アリスは頬を赤くしたまま、くしゃりと顔を歪めさせた。

 

「……おい、エヴァン」

 

「あーごめんごめん。ちょっとからかっただけ。ごめんねアリス」

 

 アリスはうつむき、黙りこくってしまった。

 

 彼女は、大人びた口調で生意気なことを言うかと思えば、こういう子供っぽい部分を見せる時もある。
 この時からアリスは目に見えてぎくしゃくしだした。

 

 俺と必要最低限の言葉しか交わそうとしないし、夜少しでも仕事が遅くなれば、先に眠ってしまっている。帰りがどんなに遅くても、彼女はいつも起きて待っていてくれたのに。
待っていてくれた時は申し訳なく思って「遠慮せず、先に寝てろよ」と言っていたが、こうなると勝手なもので、少しだけ寂しさを感じてしまう。

 

 しかし、色々あって忘れかけていたが、アリスは上流階級の人間なのだ。本来であれば、今のような距離でも近いくらいだ。彼女が本来の場所に帰るとき、俺とアリスの間には、はっきりと境界線が引かれる。

 

 だから、今の距離でいいのだと、俺は自分に言い聞かせた。
 俺が今やるべきことは、前世ではなんとなく周りに流されていた人生を、きちんと自分の意志で歩むこと。
 死んでから、「ああしておけばよかった」と後悔しないことだ。
 だからこそ、小さいころからの夢だった、警備隊員としての職務を全力でこなすことが、今の俺の、やるべきことなのだ。

 

 だから、アリスのことは、いつか必ず別れがくるものとして、一歩も二歩も離れた場所で、彼女の幸せを願っていようと思う。

 

 

 

 

 アリスと少し距離が空いたまま、数日が過ぎた。
 夕時の鐘が鳴り、少し残業をしてから詰所を出る。エヴァンは宿直当番とのことだ。

 

 人通りのない細い道に差しかかったところで、わき道から10人ほどの、風体の悪い若者たちが現れた。
 俺は立ち止まり、ザッと彼らを検分する。補導したことのある、見知った顔ばかりだ。先日しつこくナンパをしていた若者もいた。

 

「こいつ、右手のケガが治ったばかりらしいぜ。警備隊のイヌ公どもが喋ってんの聞いた」

 

 ニヤニヤしながら、片手に長い棒を持った少年が前に出てくる。

 

「くっついたばかりの傷は破れやすいっていうしなぁ」

 

 恐らくナンパを注意しされた若者が、意趣返しに仲間を集めたのだろう。
 不良少年相手に銃や警棒は抜けない。俺は素手で全員を相手取るハメになった。

 

 勝てない相手ではないはずだった。
 彼らがしつこく、治ったばかりの右手を狙ってこなければ。

 

 4人目を蹴り倒したところで、少年が振りまわす木の棒が右手首に当たり、激痛が走った。
 完璧に治ったと診断を受けたはずなのだが、この痛みは明らかに、まだ不完全だということを物語っている。
 俺は不覚にも、片膝を地面についてしまった。「あのヤブ医者」と舌打ちして、利き手ではない左で、警棒を抜き取った。武器がないと負けると直感したからだ。

 

 しかしそこで、不良少年の数がさらに増えた。
 ――まずい。
 俺は眉をきつく寄せて、警棒を構え直した。20人を超える少年らに完全に囲まれて、さすがにこれは袋叩きか、と観念した時のことである。

 

「ここよ、エヴァン!」

 

 アリスの声が割り入って、直後、エヴァンと3人の後輩が姿を見せた。エヴァンたちはすでに臨戦態勢だ。エヴァンがためらいなく銃を抜きひと睨みすると、不良少年らは色をなくした。「仲間を呼びやがって!」「卑怯だぞ!」と、おまえが言うかという捨て台詞を吐きながら、一目散に逃げていく。

 

 エヴァンは後輩たちに「絶対に逃がすなよ」と命じて少年らを追っていった。
 今夜の詰所は賑わいそうだ。

 

 

 

 

「大丈夫クライド、ケガはない?!」

 

 アリスはひどく取り乱した様子で走り寄ってきた。せっかく綺麗にまとめられていたはずの髪が、ところどころほつれている。

 

「ごめんなさい、わたしのせいで。階段でケガをさせて、そのせいでこんな危ない目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい」

 

 どうやらアリスは買い物の途中でここを通りかかったらしい。俺が不良どもに囲まれているのを見て、慌ててエヴァンを呼びに行ったのだそうだ。

 

 アリスは謝罪の言葉を繰りかえしながら泣きじゃくっている。
 よほど心配を掛けてしまったようだ。

 

「アリスのせいじゃないよ」

 

 これまでに何度か口にしたセリフを、俺はもう一度言った。
 しかしアリスは、綺麗なブロンドを揺らしながら首を横に振る。

 

「謝ることさえさせてもらえないのは、苦しいわ……!」

 

 俺は胸を衝かれた。

 

「――そうか。そうだな」

 

 胸の底から、急に愛しさがこみあげた。
 俺はその熱で、彼女を怖がらせないように気をつけながら、そっとアリスを抱き寄せる。

 

「気づかなくてごめんな」

 

「あなたが謝って、どうするの」

 

 アリスは俺の胸に顔をうずめながら、涙まじりに抗議した。

 

 

 

 

 それからというもの、あれほどぎこちなかったアリスの態度が、いつも通りになった。
 よそよそしい態度が溶け、夕食時には、今日のできごとを嬉しそうに語る。俺の話も聞きたがったが、ほとんどが仕事の話なので、そう面白いことは言えない。けれどアリスは、嬉しそうに耳を傾けていた。

 

 あまりにも幸せな毎日が続いてしまって、俺は危うく、錯覚しそうになる。
 こういう日々がずっと続いていくのだと。
 けれどその考えは、まぎれもない錯覚であるということを、まざまざと突きつけられる出来事が起こった。

 

 ついに、アリスの捜索願が出されたのである。

 

 

 

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