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 翌朝、いつものようにアリスの作ってくれた朝食を食べて、俺は仕事の準備をする。

 

「いってらっしゃい」

 

「いってきます」

 

 なにげない日常が、幸せだと知った。
 けれど、時計の針はもう戻らないのだ。

 

(いまさら、なにを思ったところで――)

 

 そんな女々しい自分に、嫌気がさす。
 昨夜初めてアリスに触れて、自分の感情を思い知った。
 たとえ一時でも、婚約者のもとへ行かせたくない。
 俺は勝手なヤツだ。アリスは覚悟を決めて、両親と向き合うために戻るのに。

 

 仕事の時だけはきちんと集中するようにして、無事一日が終わった。
 ただいま、と声をかけながら扉を開ける。
 しかしそこには、誰の姿も見えなかった。

 

 心にズンと重りが落ちる。
 アリスは、両親の元へ帰ったのだ。

 

『もし両親を説得することができたら――婚約を白紙に戻すことができたら』
『そうしたら、あなたのところに戻ってきてもいい?』

 

 アリスの、小鳥のように愛らしい声が甦る。
 俺は綺麗に整えられた部屋を見渡して、両のてのひらを握りしめた。

 

 彼女がきちんと向き合って、戦って勝つのを、ここで待とう。
 けれどもし、彼女が負けてしまって、望まない結婚を強いられることになったら。
 その時は、この手でアリスを奪いに行こう。

 

 

 

 

 急転直下の出来事が起こったのは、翌朝だった。 
 玄関がノックされたので開けたら、警護隊の制服を着た4人の男たちに突然拘束されたのだ。

 

「何をする!」

 

 よく見ると、隣区域の詰所の連中だ。
 年長と思われる警護隊員が、しかめつらしい顔をして言った。

 

「クライド=バークレイだな。おまえに誘拐の容疑がかかっている」

 

 ギクリと体がこわばった。

 

「よって、未決囚みけつしゅうとして貴様を留置所に拘束する。
 抵抗しても無駄だ。大人しく馬車に乗れ」

 

「留置所――?」

 

 そんなところに入れられたら、罪状が罪状なだけに、いつ出られるか分からない。
 長期に及べば最悪、軍からの退役を勧められる可能性もある。

 

 しかしここで暴れても余計に自分の立場を悪くするだけだろう。
 しかし、これだけは聞いておきたい。
 俺は馬車に押しこまれながら、口を開いた。

 

「俺を捕まえるよう被害届を出したのは、いったい誰だ?」

 

 年長の警護隊員は、口重くちおもそうに答える。

 

「余計なことを貴様に教えるなと、上からの命令が降りている」

 

 留置所は中央警護所の地下にある。
 仰々しい鉄門の前で馬車は止まり、突かれるようにして降りた時、エヴァンが駆け寄ってきた。
 相変わらず、早耳だ。

 

「お待ちください。彼をどうする気なんですか」

 

「誘拐の嫌疑でしばらく拘留する」

 

「僕は彼と毎日一緒でしたし、家にも遊びに行きましたが、そのような様子は一切なかったです。
 何かの誤解です」

 

「誤解であれば、すぐに釈放されるだろう。そこをどけ」

 

「しかし――」

 

「邪魔だてすると、貴様も妨害罪でブチこむぞ」

 

「エヴァン」

 

 俺は声を割りこませた。

 

 エヴァンの顔色は蒼白になっている。
 重罪の容疑を掛けられたら、無実の罪を晴らすことはかなり難しい。捜査側のメンツがかかっているため、裁判に備えて確かな証拠を揃えてくるからだ。警護隊員だからこそ、 そのあたりの事情を熟知している。

 

 しかし、自分のせいでエヴァンまで巻き込むわけにはいかない。

 

「けど、クライド。君はなにも悪くないのに」

 

「だからこそ、ちゃんと無事出てくるから安心して待っててくれ」

 

「僕もできるだけのことはするから」

 

「俺のことより、きちんと仕事しろよ」

 

 俺は背中を乱暴に警棒で突かれながら、留置所へ連行された。
 冷たい石壁が剥き出しになっている、うす暗い牢屋だ。
 無情な音を響かせて、鉄柵が閉まる。警護隊員たちは始終、俺のことを仲間ではなく、犯罪者に対するような目つきで見ていた。

 

 牢屋内にあるのは、用足しの穴と、壁から垂れる手錠だけだ。これは囚人が暴れた時に使う。
 体を温めるものが何もない空間は、染み入るように寒い。

 

 エヴァンにはああ言ったが、アリスを家に泊めていたのは事実だから、最悪有罪が確定してしまうかもしれない。
 平民が貴族の女性を攫った、という罪は殺人の次に悪い。
 そうなれば懲戒解雇は当然、獄舎に入れられ死ぬまで苦役にさらされるだろう。

 

 俺は冷たい石床に腰を下ろした。
 なすすべが、なにもない。
 ひたひたと絶望が近づいてきていた。

 

 

 

 

 苛烈な尋問を受け、マズいメシを食い続けること3日。
 長期戦を予期していた俺を出迎えたのは、「無罪放免」という異常事態だった。

 

「おまえの嫌疑は晴れた。さっさと出ろ。明日から通常通り、仕事に戻っていい」

 

 どこか悔しげに、尋問係だったいかつい警護官はそう言い捨てた。
 俺からすれば、肩すかしもいいところである。
 3日間で伸び放題になった無精ひげをさすりつつ、俺はキツネにつままれたような心持ちで毛中央警護所の門を出た。

 

 久しぶりに見る外は、日差しが痛いくらいに眩しい。
 今日も冷たい曇り空で、光の量はさほど多くないはずなのに。

 

「明日から出勤していいと言われてもなぁ……」

 

 昼飯でも食べようと、中央広場のスタンドでホットドッグを買った。
 いつかと同じようにベンチに座る。紙の包みを開いたら、ケチャップの匂いが広がった。
 食欲をそそる匂いなのに、どうしてか食べる気が沸かない。そのまま包み直して、アパートへ帰った。

 

 その夜、エヴァンが訪ねてきた。

 

「ちょっと痩せた? いい筋肉してたのにもったいない。これでも食べて取り戻しなよ」

 

 エヴァンは特大の塊肉を持ってきてくれた。
 適当に焼いて、アルコールで乾杯する。

 

「あの日、うちの詰所は朝から大パニックだったよ。
 まさかクライドが逮捕されるなんて誰も想像してなかったからさ。
 しかも罪状が婦女誘拐、監禁でしょ。ま、誰も信じてなかったけど」

 

「しかし副所長には一度アリスを見られている。疑われるようなことをした俺も軽率だった」

 

「副所長は、女性は確かに見たけど、とても監禁されてる様子に見えなかったって言ってたよ」

 

 所長専属のイエスマンだとばかり思っていたが、頭の下がる思いだ。

 

「それにしても、胸糞の悪い話だよ」

 

 エヴァンはビールをあおった。

 

「君を留置所域にしたのは、アリスの婚約者だった。
 彼女が結婚を断ったから、そいつが彼女の身辺調査をしたんだ。
 それで君の存在を突き止めて、『間男がいたのか!』と怒り心頭。
 貴族権限で警護隊の上役を脅しつけ、拉致監禁の疑いで君を逮捕させたんだよ。
 確かにアリスはこの家にいたけど、どっちかというと押しかけてきて、無理やり居座ってたっていうのが真相なのに」

 

「要するに、外側からどう見えるかということだろうな。
 腹ペコ少年を見逃した件も効いていたんだろう。俺はいわゆる前科持ちだ」

 

「肝心のアリスはずっと雲隠れだ。詳細を聞こうと警備隊員が訪問しても、親が門前払いするんだってさ。
 本当に厄介だよ。貴族にかかわるとロクなことにならない。無罪放免になったんだし、ここらへんで手を引きなよ」

 

 エヴァンは早口にまくしたてて、肉を頬張った。
 その様子に、俺は引っ掛かりを覚える。

 

「エヴァン」

 

「何?」

 

「何か隠してるな」

 

「うわあ、最悪」

 

 エヴァンはげんなりした表情になる。

 

「なんで気づくかな。僕の優しさだったのに。
 ハイハイ、言えばいいんでしょ。
 君の釈放が通達される直前に、アリスが婚約者との結婚を承諾していたらしい」

 

 そこでエヴァンは少しだけ、同情の色を目に浮かべた。

 

「クライドの無罪放免と引きかえに、あんなクソ野郎との結婚を承諾したんだ。きっとアリスなりの罪滅ぼしなんだろうね。
 しかもねクライド。君は1階級昇進したんだよ。伍長から軍曹になったんだ。これで冤罪をチャラにしろというお達しさ。お祝いの乾杯でもする? ――おっと」

 

 エヴァンは俺の顔を見て、苦笑した。

 

「その顔じゃ、祝杯はまだあげられないようだな。
 僕の喉笛まで噛みちぎられそうだよ」

 

「――エヴァン」

 

 俺は腹の底で煮えたぎる怒りを、持て余す。

 

「祝杯はもう少し待ってくれ。
 けれど近いうちに、必ず」

 

 

 

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