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 アリスは一度、婚約の破棄を婚約者に申し出たという。
 ということは彼女は、両親の説得に成功したのだ。
 真正面からぶつかって、戦って、勝ったのだ。

 

 それなのに、婚約者であるセドリック=エイデンが、それを許さなかった。
 俺を利用するという卑怯なやり方で、アリスを手もとに置くことに成功した。

 

 だから俺は彼女をこの手で助け出そうと思う。
 前世でもそう言ったのだ。泣きじゃくる幼なじみに、『俺もいっしょにいてやるから』と。
 あの子とは、時の流れとともに疎遠になっていったけれど。

 

 泣き虫のアリスは、きっと今も、泣いている。

 

 

 

 

 翌日から俺は、職務のかたわら、警護隊の権限を最大限に使って婚約者の悪行や非道な振る舞いを調査した。
 この男、少し叩いただけで驚くほど大量のホコリが出る。
 愛人関係やギャンブルに浪費した金額などを追っていくと、穏やかじゃない裏事情が露わになった。

 

「軍曹権限って、思ったより大きいんだねー」

 

 金貸しから事情聴取をした帰り道、メモした手帳を読み返しながらエヴァンは言った。

 

「令状なくても、ツッコんだ話が聞けるもんね。便利便利」

 

「しかしおまえ、ここまでついてこなくてもいいんだぞ。
 厄介な輩に目をつけられる可能性もあるんだ」

 

「僕は友情に厚い男だからね。
 それにさ、やっぱりアリスがちょっと可哀想かなって思うんだよね」

 

「可哀想どころじゃない。あの婚約者――セドリック・エイデン男爵は最悪な相手だ」

 

 俺は苦虫を噛みつぶしたような気分になった。
 セドリック・エイデン男爵は、およそ考えうる限り、婚約者として最悪な男だった。

 

 彼はギャンブル中毒だった。
 多数いる愛人はほとんどが金貸しによる美人局つつもたせで、罠にハマったことに気づいていないセドリックは、多額の借金を抱えていた。
 いよいよ首が回らなくなり、そこで飛びついたのが、子爵家令嬢アリス・イングラムとの結婚だ。
 堅実で有名なイングラム家――その性質のために、アリスは息苦しさを覚えていたのだが――は、多くの資産を持っている。アリスと結婚すれば多額の持参金が期待でき、さらにアリスを丸め込めば、実家へ金の無心ができるとでも踏んだのだろう。

 

 さらに、彼周辺の人物に聞き込みを進めた結果、とんでもない事実を突き止めたのだ。

 

 

 

 

 次の休日は、晴れていた。
 俺は藍色の制服を着込み、イングラム子爵邸の門の前に立った。

 

「市内警護隊の方、ですか」

 

 士官の徽章は、こういう時に役に立つ。
 老執事は戸惑いを見せつつも、俺を追い返そうとはしない。

 

「このままでは、御家が犯罪に巻き込まれる可能性があるため、お伺いいたしました。
 ご当主にお目通り願いたい」

 

「しかし、お約束がなければお通しすることが難しいのです」

 

「であれば、令状を取った上で改めてご訪問させて頂きます」

 

「れ、令状? 少々お待ちください」

 

 警護隊は正規軍の一機関である。それが貴族の家に踏みこむことは、異常事態だ。
 そうなっては家名に傷がつく。老執事は慌てて奥に引っ込み、それから汗をふきつつ再び姿を現した。

 

「今はその、申し訳ありませんが、他に客人がありますので、夕刻に再度ご訪問いただけないでしょうか? できる限り、穏便に……」

 

 もちろん、セドリックが訪問していることを知っていて乗りこんだのだ。

 

「こっちは瞬きする暇も惜しいんだ。入らせてもらう」

 

 低く言い捨てて、俺は執事を押しのけ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 一階の一室から、声が漏れ聞こえてくる。恐らく応接室だろうと踏んで、俺はノックもそこそこに扉を開けた。

 

「な、なんだね君は!」

 

 イングラム家当主――アリスの父親と思われる男性が、大声を上げた。
 室内は重厚な調度品で整えられている。中央にあるソファには、夫人とアリス、そして婚約者のセドリックがいた。皆ぽかんとしてこちらを見ている。

 

 アリスはレースや飾りのついた愛らしいドレスを着ている。
 やが彼女の大きな瞳が潤み始めた。
 ご当主は眉間にしわを寄せる。

 

「警護隊の者か。夕刻に来るよう伝えておいただろう」

 

「早々にお伝えすべき事案が発生したので、お伺いした次第です」

 

「――貴様、まさか」

 

 愕然とそうつぶやいたのは、セドリックだ。
 ダークブラウンの髪に、それよりも濃い色の目をしている。フロックコートに包まれた背は高く、痩せ気味だ。ただ座っているだけで居丈高な態度を醸し出している。

 

 彼はやがて色をなして、勢いよく立ち上がった。

 

「貴様、せっかく無罪放免にしてやったのに! また牢獄に入れられたいのか!」

 

「その節は、どうも」

 

 最大限の皮肉を込めて、オレは礼をとる。
 視界に入れるだけで不快だから、俺はすぐに投手へ向き直った。

 

「子爵殿。実は私は、こちらのセドリック=エイデン 男爵を保護するために伺ったのです」

 

「保護? いったいどういうことだね」

 

 ご当主は困惑したように夫人と目を合わせている。
 アリスも何が何だか分からないという様子だ。
 半面、セドリックはいきりたった。

 

「何を訳の分からないことをほざいているんだ!
 下賤のくせにズカズカと入りこんで、もおう許さないぞ。
 もう一度牢屋にぶち込んでやる!」

 

「実は男爵は、ならず者に目をつけられているのです。
 今でも彼らは、男爵の様子を静かに窺っています」

 

 セドリック=エイデンは、ギクリとした様子で息を呑んだ。それから慌てたように窓に走り寄り、外を見る。
 そこには確かに、怪しげな男が壁に隠れるようにして佇んでいた。

 

 それを見て、ご当主は困惑しつつ、セドリックに問う。

 

「いったいどういうことなのかね。あの怪しげな風体の男は一体……」

 

「せっかくアリスがその気になって、婚約がまとまったというのに、こういう騒ぎは困りますわ」

 

 神経質そうな夫人が、眼鏡の奥で眉を寄せた。一方アリスは、男を見て首をかしげている。
 セドリックは慌てて「ま、全く身に覚えがありません」と否定し始めたが、俺はかぶせるようにして口を開いた。

 

「ご当主は、エイデン様が多額の借金を抱えていることをご存知ですか」

 

「なっ、なに?!」

 

「どういうことなの」

 

 ご当主と夫人は、揃って目を見開いた。
 セドリック=エイデンは一層慌てて弁明をし始めるが、俺はそれをに構わず話を続ける。
 彼が極度のギャンブル中毒に陥っていること、美人局とのダブルパンチで多額の借金を作ってしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまったこと――

 

「そのため資産家であるご当主の愛娘、アリス様と婚姻を結び、金を無心しようと計画を立てたました。――と、これは蛇足でしたね」

 

 エイデンとご両親は、顔面蒼白である。アリスはただただ驚いて、大きな瞳をさらに大きくして、俺を見つめていた。
 やがてご当主の表情に、怒りが溜まりはじめる。

 

「一体どういうことだねセドリック君。
 私は君を信頼して、娘を嫁にやろうとしていたというのに」

 

 エイデンはよほど外面が良かったらしい。特に年配者の覚えはめでたく、彼の悪行はごく身近な若者だけが知るところであった。

 

「だ、騙されてはいけません、子爵。こやつこそ、先日までアリス嬢を自宅に留めていた張本人なのですよ! 家出をして、気を弱くしていたアリスを幾日も囲っていたのです!」

 

 ご両親は目を見開いた。そこでアリスが、怒りの表情で割って入る。

 

「それは何度も説明したでしょう! クライドはわたしのわがままを聞いて、家に置いてくれたの。逆に何度も迷惑を掛けてしまったのよ。それなのにセドリック様は、クライドを牢屋に閉じこめて……!」

 

「当たりまえだろう! 17歳の婦女子を何十日も自宅に泊めていたのだ。手籠めにされていてもおかしくはないし、現にそういう噂も流れている。それでも私は君と結婚をして差し上げようとしているのだぞ。感謝こそすれ、この男を庇うなど、言語道断だ!」

 

 アリスは衝撃を受けた様子で、口もとを抑えた。

 

「酷い――クライドはそんなこと」

 

「お待ちください」

 

 俺は殴りかかりたい衝動を抑え、努めて冷静に口を開く。

 

「その件に関しては、厳正なる捜査の上で無罪と判断されています。先日から職場復帰も果たしました」

 

「う、うむ、そうか……。しかし、どちらを信じれば」

 

「私はアリス様の件をお話しに来たのではありません。
 最初から申し上げているように、エイデン男爵を保護しに来たのです。
 彼は金貸しにつけ回されるほど借金を重ねているようで、彼の知人から聞いた話によると、『
もし金が足りなかったら容姿の優れているアリスに金持ちの御隠居をたらしこませて金をせびらせる』とも話していたとか」

 

 自分で話していても、吐き気がするほど忌まわしいセリフだ。
 アリスとそのご両親はギョッとした顔で婚約者を振りかえる。
 エイデンはすっかり色をなくして、口をパクパクしていた。

 

「き、貴様、どこからそんな話……」

 

「エイデン男爵はもう少し周囲に気をつけたほうがいい。
 貴方の悪行を嬉々として教えてくださるご友人ばかりでしたよ」

 

「う――うるさい、うるさいっ。この大ウソつきめ!」

 

 彼の激しい動揺が、俺の証言を確かなものにしてくれた。
 アリスは当然のこと、もはやご両親の態度にも、男爵への信頼が削げ落ちている。

 

「うむ……アリスが婚約を拒絶したのは、こういう理由があったのか。
 珍しく自己主張をしてきたから、なにがあったのかと思ったが……」

 

 夫人はエイデン男爵に非難のまなざしを向けつつ、娘を守るように抱き寄せた。
 ご両親の姿を見て、オレは内心安堵の息をつく。

 

「それではエイデン男爵。屋敷の外に馬車をご用意しております」

 

「こやつの言うことはすべてデタラメだ! 今すぐ訂正しろ、でないともう一度牢屋にブチ込むぞ」

 

 さすがにイラっときた。

 

「俺は潔白が証明されたと言っただろう。いい加減にしろ」

 

「なっ……お、おまえ、貴族に向かってなんという言い草だ! もう許さん!」

 

 婚約破棄が確定的になり、男爵は本格的に首が回らなくなった。
 絶望と怒りがまぜこぜになり、それを俺にぶつけるかのごとく、猛牛のように突進してくる。
 アリスが小さく悲鳴を上げたが、俺は彼を軽く流して首裏を一打し、昏倒させた。

 

「このまま連行し、保護します。あとのことはお任せください」

 

「う、うむ……ご苦労だった」

 

 俺は男爵を肩にかつぎつつ、茫然としている親子に背を向けた。そこでふと、思い出した。

 

「ご当主。先ほど『どちらを信頼していいのか分からない』という趣旨のことを仰られていましたが」

 

「ああ。今は君の主張を信じておるよ」

 

 ご当主はケダモノを見るような目つきで、エイデンを眺めている。

 

「いえ、そうではなく。これからは私でも彼でもなく、アリス様を信じてください」

 

 俺があえて言わなくても、きっとこの家族は大丈夫だろう。
 アリスが頑張って得た絆が、俺にも見える。
 でも今にも泣きそうなアリスを前にすると、ついお節介をやいてしまうのだ。

 

 ご当主はわずかに微笑んだ。

 

「君にはどうやら、世話になったようだ」

 

 俺は一礼し、屋敷を出た。

 

 

 

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