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「チェルシー・フレット嬢。貴女との婚約を、白紙に戻させていただく!」

 

 ユーリス王子殿下は怒りを叩きつける。

 

 わたしは沈痛に面を伏せた。
 その裏で、口端を引きあげる。

 

 ――計画通り。

 

「チェルシー、なんという愚かな娘だ! おまえはもう私の娘ではない。いますぐ出ていけ!」

 

 まさに怒髪天を突く。
 父は勘当宣告をつきつけた。

 

 わたしは意気消沈してうなだれる。
 その裏で、クツクツと喉を震わせた。

 

 これでわたしは、自由の身!

 

 すでに住む場所は用意してある。
 働きながら畑を耕し、細々と自活しよう。

 

 極悪令嬢と、いくらでもなじれ。
 わたしはひとりで、生きていく!

 

 

 

 

 申し遅れた。
 わたしの名はチェルシー・フレット、17歳。
 伯爵家の長女にして、第四王子ユーリス・アートラッドの婚約者である。

 

 しかし、これらはすべて過去形だ。

 

 ユーリス殿下と出会ったのは3年前。14歳のころだ。

 

 殿下は熱烈だった。
 わたしの容姿や立ち居振る舞いが、理想ど真ん中だったらしい。

 

 艶やかな肌に、初々しい唇。
 翡翠の瞳は純情なる憂いを含み、亜麻色の髪はなめらかに胸もとへ落ちる。

 

 自分でいうのもなんだが、わたしは恐ろしいほどの美少女だ。

 

 父の領地サウスリールは土壌豊かで穏やかな土地だ。
 しかしド田舎である。

 

 辺境の伯爵家の娘が、王室に入る。
 これは当時、社交界で大変な騒ぎになった。
 騒ぎはやがて、激しい嫉妬へ変貌する。

 

 無視や陰口なんてかわいいもの。

 

 足をひっかけて転ばされる、間違ったドレスコードを伝達される、替えのドレスを切り刻まれる、靴に画びょうを仕込まれる。

 

 スープに死んだ蛙が入れられる、乗馬中わざと馬を驚かされ振り落とされそうになる、卑猥な噂をばらまかれる。

 

 直接仕掛けてくるいじめは、従者のレンが防いでくれた。
 けれど、噂のばらまきとなると、抑制が効かない。

 

 いつのまにかわたしは、わたし自身あずかり知らぬ人物に成り果てていた。

 

 いわく、夜な夜な盛り場を渡り歩き、イケメンたちを侍らせて許容量超えの酒をあおり、酔っぱらってわめき散らして店の調度品を破壊しつくし、そこらじゅうに嘔吐しまくった挙句、苦言を呈した店主に向かって、

 

「カネはユーリス殿下に請求しろ!」

 

 と、声高々にのたまったとのことだ。
 そしてイケメンらと夜のホテル街に消えていったらしい。

 

 噂によると、従者のレンは、特にわたしのお気に入りらしい。
 いつもレンにしなだれかかっているとか。
 キモいとしかいいようがない。

 

 だがこの噂には弱点がある。
 証拠がない。
 事実ではないから当たりまえだ。

 

 だから、わたしにベタ惚れのユーリス殿下は、

 

「嫉妬狂いの連中が流した、くだらぬ噂だ」

 

 と、一蹴した。

 

 ――しかし。

 

 3年だ。
 3年間、いわれなきいじめを受け続けたのだ。
 わたしは傷つき、疲れ果てた。

 

 14歳からずっと、友人ひとり作れなかった。

 

「チェルシー様は17歳になって、ずいぶん変わりましたね」

 

 長身のレンが、わたしを見下ろした。

 

「寝顔だけは、3歳のころから変わらないけど」

 

 からかうように笑う。

 

 黒い髪と、琥珀色の瞳。
 レンはいつも平静だ。
 一緒にいると、心が落ちつく。
 だから昔からずっと、レンを側に置いていた。

 

 ――話をもとに戻そう。

 

 とにかく、わたしは疲れきっていた。

 

 修道院に入ろうと思った。
 わずらわしい世俗を、捨てようと。

 

 しかし、わたしは王族の婚約者だ。
 名を告げたら、門前払いされた。

 

 どこへ逃げても、王子の婚約者という肩書はついてまわる。
 そこで一計を案じた。

 

 噂に裏を取らせればいい。

 

 殿下のほうから婚約を破棄するように持っていく。
 伯爵家のほうから婚約を白紙に戻すことはできないからだ。

 

 あの噂が真実だとすれば、殿下は、驚き嘆き怒り狂うだろう。

 

 取り急ぎレンだけを連れて、実行した。
 それはもう忠実に再現しまくってやった。
 レンは若干引いていた。かまうものか。

 

 結果は、冒頭のとおりである。
 王子側の対応はあまりにも早かった。

 

「やはりあの噂は真実だったのか!」

 

 殿下は普段から熱愛を宣言して憚らなかった。
 しかし、実にあっけなかった。

 

 人の心はそれほど強くはない。
 恋心なら、なおさら。
 ――などと、恋を知らないわたしが嘯いてみる。
 なにしろ殿下の顔すらうろ覚えなのだ。

 

 最後に、大事なことだからもう一度いおう。
 わたしは、自由になったのだ。

 

 

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