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 わたしは自分を過大評価していない。
 昨日の今日で自活できるとは思っていない。

 

 なにしろこの容姿だ。
 生まれた時から蝶よ花よと育てられてきた。

 

 自炊どころか、ひとりきりの買い物だって未経験。
 掃除洗濯はいうまでもない。

 

 だからまず、平民の暮らしを観察・分析した。
 そうして作ったのが

 

 『図解・庶民のくらし』

 

 である。
 これは家宝にする予定だ。

 

 これを幾度も読み返すと、自活に必要なものがわかってくる。

 

 まずは金だ。
 なにはともあれ、金である。
 コツコツ貯めた。
 3カ月は遊んで暮らせる金額を、 王立銀行に預けている。

 

 ふたつめは、画材だ。
 わたしは絵を描くことが好きだ。
 3歳のころから師匠に従事し、励んできた。

 

 変人の……いや天才肌の師匠は、わたしの画才を大いに評価している。
 絵がコンスタントに売れれば、食べていくことができるだろう。

 

 そして最後。
 これはある意味、お金よりも必須である。

 

 現実問題、女ひとりで、都はずれのボロ家には住めない。
 泥棒及び暴漢に、どうぞ襲ってくださいといっているようなものだ。

 

 自慢ではないが銃は下手だ。
 体術もお話にならない。

 

 

 ということで、わたしは夜、レンをタウンハウスの自室に呼び出した。
 つかみどころのない男だが、従者としてはパーフェクトなのである。

 

「わたしは近く婚約を白紙に戻させ、フレット家を出る。レンにもついてきてほしい。給金は出そう。いまより下がると思うが、受けてくれるか」
「ああ、わかった」

 

 びっくするほど即答だった。

 

「給金の額を聞かなくていいのか? 労働の条件は」
「あとで紙にでもまとめておいてください。では良い夢を、チェルシー様」

 

 一礼して出ていった。
 やはりあの男は、つかみどころがない。

 

 

 その後、正式に婚約が取り下げられた。
 わたしはせっせと雇用契約書を書きつけて、レンに渡した。

 

「ああ、これはもう不要だ。給金はいままでどおり、お館様が払ってくださる」
「どういうことだ。わたしは勘当されたのだ。父様からほどこしを受けるいわれはない。話し合ってくる」

 

 肩をいからせて踵をかえす。
 すると、後ろから手首をつかまれた。

 

「やめておけ。親心だ」
「――だが、親子の契りはすでに断たれている」

 

 レンは苦笑した。

 

「オレは用心棒だ。あんたの命を護ることが役割だ。生活環境がどうであれ、命だけは失ってほしくない。それが親心だ。ありがたく受け取っておけ」

 

 釈然としなかった。
 けれど、レンの給金を下げてしまうことに気が引ける。

 

 渋々ほどこしを受けることにした。

 

 

 

 

「すげえな、あんた」

 

 レンはぽかんと口を開けた。
 ここは『新居』のささやかな庭である。

 

 わたしは市場で買い求めた鶏を、シめた。
 ナイフを入れて下処理をほどこし、
 ハーブと塩を振りかけ串に刺し、
 マッチで焚いた火でこんがりと焼きあげ、

 

「さあ、食べてみてくれ」

 

 と、レンに勧めた。

 

「扇より重い物持ったことないくせに、よくもまあこんなグロいことを」
「重い物と調理は関係ないだろう」

 

 レンは鶏肉を噛みちぎった。

 

「お、うまい」
「よかった。初めてのことだから、少々不安だったのだ」

 

 パリパリした皮に、歯を食いこませる。
 じゅうと熱が広がり、濃厚な肉の味が舌にからんだ。

 

 この日のために、研究を重ねてきたのだ。
 成功してよかった。
 わたしは『図解・庶民のくらし』を大切に布袋にしまった。

 

 2本目に手を伸ばしつつ、レンはいう。

 

「次から下処理はオレがやってやるよ」
「なぜだ?」
「一度やったから、満足したろ」

 

 今回は好きなようにやらせてやった、とでもいわんばかりのセリフだ。
 カチンとくる。
 が、思わず「頼む」といってしまいそうになる。
 ビクビク躍る鶏の首が、まだ掌に残っていた。

 

 自由とは、ただ自由であることとはちがうようだ。

 

 

 食べ終わり、たき火に水をかけた。
 日の落ちかけた群青の空だ。
 星が瞬き始めている。

 

 ひと息ついて、『我が家』見返った。
 木造りの平屋建てで、二間続きになっている。

 

 格安だった。相場の3分の1以下だ。
 理由はふたつ。
 ボロいこと、そして立地である。
 なにをかくそう、ここは城壁の外なのだ。

 

 家の背後には高さ25メートルの壁がそびえている。
 都の主要部を囲むそれは、全長5キロ。
 何百年も外敵を防いできた、防波堤だ。

 

 さらに、この道の俗称を『処刑人小道こみち』という。 
 罪人の首を刎ねる男が、代々この先に住んでいるのだ。

 

 値段が安いのも、うなずけるというものである。

 

 

 

 

 ぬるま湯を盥たらいに張る。
 裸になって中に入り、手拭いを浸した。
 腕をごしごし拭う。

 

 ふと思った。
 わたしはレンを、振りまわしているかもしれない。

 

 レンは外で湯あみを終えていた。
 黒髪を、水滴が伝っている。
 笑みが浮かんだ。

 

「今日は疲れただろ。さっさと寝ろよ」
「すまない。わたしだけベッドを使ってしまって」

 

 狭くて、ふたつのベッドを置くことができなかったのだ。

 

「このベッドを売って、セミダブルを買おうか。それならこの寝室にも入る。多少きゅうくつだが、一緒に並んで眠れるだろう」
「……。別にオレはかまわないけど、それ相応の覚悟をしておいてくださいよ」
「覚悟? わたしの寝相のことか。確かに寝相は、怖ろしく悪いな」

 

 幼いころはよく、並んで眠ったものだ。
 レンを蹴飛ばすたび、ぶつぶつ文句をいわれていた。

 

 レンの母は、わたしの母の側使えだ。
 わたしが生まれてからは乳母となった。
 レンは3年先に生まれていたから、兄代わりだった。

 

 だからレンはわたしに対して気安い。
 態度も、言葉遣いも。

 

「なあ、チェル」

 

 レンは床の敷布団に寝転んでいる。
 体を横向きにして、肘を立てた。

 

「オレはむしろ、こうなって安心したんだぜ。あの阿呆なボンボンに、あんたが嫁ぐ姿を見なくてすんで」
「阿呆なボンボンとは、もしかしなくてもユーリス殿下のことか」
「嫁にするつもりの女ひとり護れない男なんて、クソだろ」

 

 おおかた賛同する。
 が、不敬なのは否めない。

 

 けれどわたしには、別の見解があった。

 

「あの程度の嫌がらせをうまくかわせなくて、妃など務まらないということだろう」

 

 ユーリス殿下は、わたしがいじめられていることを知っていた。
 けれど、それを些末なこととして捨て置いた。

 

「本来ならわたしが、連中を掌握しなければならなかったのだろう。それが妃の器というものだ。だがわたしはできなかった。それだけのことだ」

 

 レンはこたえなかった。
 ただわずかに、形のいい眉を寄せただけだった。

 

 

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