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 それにしても父様は、レンに給金をいくら渡しているのだろう。
 首をひねりながら、ジュナ通りを歩く。
 秋の朝日は目に優しい。

 

 レンはS6号の絵を2枚抱えている。実家で描きためていたものだ。
 昨日の絵ほどの自信作ではない。
 けれど、売れるなら売りたい。

 

 画廊に入ると、すでに先客がいた。
 若い女性とお付きの男性だ。

 

 女性客はモスリンのエンパイアドレスを纏っている。
 貴族のご令嬢だろう。

 

 女性と店主――アルトゥ・トラザーは熱心に語りあっている。
 よほどの絵画好きなのだろう。

 

「これは新しく入ったものかしら? お花畑で仔猫が遊んでいる絵よ」
「ええ、新人の絵です。やわらかいタッチながらも写実的な筆運びでしょう? 非凡な才を感じます」
「本当ね、素晴らしいわ」

 

 わたしの絵の話だ。
 耳がぐーんと大きくなる。

 

 アルトゥはうなずいた。
 相変わらず、貴族みたいな物腰だ。

 

「まだ若い作家です。17歳の町娘だとか。伸びしろのある、瑞々しい感性です」
「まあ、わたしと同い年なのね。マスターがそこまで惚れこんでいるのなら、青田買いしようかしら」
「この作家ならすぐに階段を駆け上がるでしょう。いまからのご購入をお勧めしますよ」
「今日はこちらの絵にするわ」
「ありがとうございます」

 

 ――売れた。
 かぁっと顔が熱くなり、心臓が高鳴る。

 

 絵は丁寧に梱包されていく。
 ふと、アルトゥがこちらに気づいた。

 

「ああ、来てたんだね」

 

 微笑して手招きする。
 わたしは慌てて頭を下げた。

 

「マーガレット様。彼女がこの絵の作家です。どうぞお見知りおきを」

 

 ――マーガレット。

 

 喉が引き攣った。
 挨拶の言葉が出てこない。

 

 彼女は、ゆるやかに目を見開いた。

 

「貴女、まさか」

 

 マーガレット・リーズ。
 フィルオット領侯爵家のご令嬢だ。
 王族の傍系なので、ご令嬢というより姫に近い。

 

 甘やかなストロベリーブロンドに、やわらかな薔薇色の頬。
 マーガレット様はつねに社交界の華だった。

 

「お久しぶりです、チェルシー様。このたびは大変でしたわね」

 

 マーガレット様は、薄く微笑む。

 

 ユーリス殿下と歳が近く、妃候補の一番手と噂されていた。
 しかし、殿下が選んだのはわたしだった。
 以来マーガレット様は、嫌がらせの筆頭に変貌する。

 

 わたしはきつく眉を寄せ、押し黙った。

 

 

 1年前、彼女主催の夕食会に呼ばれた時のことだ。
 コーンスープを掬うと、ふにふにしたものに触れた。なんだろうと持ち上げてみたら、死んだ蛙だった。

 

 わたしは悲鳴を上げ、スプーンを放り捨てた。
 ご令嬢らは、嗤った。

 

 ――あらあら、どこから紛れこんだのかしら。身のほども知らず高貴な晩餐に入りこむなんて、まるでどこかの誰かさんみたい。
 ――田舎者のところには、下賤な生き物が寄り集まってくるといいますしね。

 

 悪意の束がうずまいていた。
 わたしは声も上げられず、立ち上がったまま震えていた。

 

 レンは別室にいたが、異変を察知したらしく、助けに来てくれた。
 そこから先は、あまり覚えていない。

 

 気づいたら馬車の中だった。
 震える肩を、レンが抱いてくれていた。

 

 

「処刑人小道で生活されているというのは本当でしょうか。少しお痩せになったのではありませんか? 顔色もお悪いですよ」

 

 たおやかな指が、頬に近づいた。
 とっさにそれを打ち払うと、「痛っ!」と、悲鳴が上がった。

 

 間髪入れず、彼女の従者がまえに出る。

 

「高貴なるフィルト侯爵家ご令嬢に暴行を加えるとは、どのような了見だ。」

 

 身が凍るような威圧感だ。
 怜悧な美貌だが、目は蛇のように冷たい。

 

 わたしは後ずさることもできなかった。

 

「も、申し訳なかった」
「それで謝っているつもりか」

 

 吐き捨てるようにいう。
 ストレートの長髪を、後ろでゆるく結んでいる。
 彼と顔を合わせたのは、これが初めてではない。
 確か名は、アイザックだったか。

 

 だが、このような態度を見せられたことなど一度もなかった。
 いままでは、伯爵家という地位に守られていたのだ。

 

「謝罪しろ」

 

 冷徹な命令が下る。

 

 視界のすみに、アルトゥとマーガレット様が映っていた。
 一方は興味深げに見ており、もう一方は扇で口もとを隠している。

 

 彼女の眼差しには、愉悦が滲んでいる。

 

「地を這い、許しを乞え。この下賤が」

 

 思考能力が凍りついてゆく。

 

 従者の手が目に入った。
 大きくてゴツゴツしている。
 あれで殴られたら、ひとたまりもないだろう。

 

 わたしはぎこちなく膝を動かした。
 マーガレット様の目が、期待に輝いた。

 

「やめろ、チェル」

 

 ふいに、レンがいった。
 背後から彼の怒気が湧き上がる。

 

「あんたが謝罪をした瞬間、オレはこの男を半殺しにする」

 

 な、なんという脅しだ。
 従者の視線が、わたしを通りこしてレンに向かう。

 

「レン・イーリイか。なぜまだこの女に付き従っている」
「それはこっちのセリフだ、アイザック。おまえの主人の品位を問う」
「マーガレット様を侮辱するな」

 

 彼の目に、怒りがこもる。

 

 後ろからレンに手首をつかまれて、背後へ回された。
 従者との距離があいて、ほっと息をつく。

 

「品がないのはそちらだろう、アイザック。自分らの行為を思い出せ」

 

 彼――アイザックは、忌々しげに眉を寄せた。

 

「マーガレット様は妃になるべく、血のにじむ努力を重ねられていた。それを、格下の娘が奪い去った。造作が美しいだけの、毒グモのような娘がな」

 

「殿下の心変わりなど、チェルシー様にはあずかり知らぬこと。恨みつらみは王宮に向けて吠えていただこう。選ばれなかった姫君の虚しさがつのるだけだと思うがな」

 

「知らぬ存ぜぬでは通らん。雄壮なるユーリス殿下が、有り体(てい)の立ち居振る舞いで心を奪われるなど、考えられん。その女が殿下になにをしたか、いわずともみな周知のことだ」

 

「下劣な妄想は、おまえを始め多数の男どもをさぞかし満足させたのだろうな」

 

 ザラリとした低音で、レンはいった。
 琥珀の目に、ぞくりとするほどの怒りがこもる。

 

「いい覚悟だ、アイザック。次の武闘会を覚えておけよ」

 

「ふん貴様には5度の負けを喫しているが、毒婦にうつつを抜かす男に負ける道理はない。鈍りきった腕を、今度こそ叩き折ってやる」

 

「言い方がちがうだろ。一度も勝てたことがない、だろ。おまえだけでなく、下賤な従者・従僕どもも揃って地に沈めてやる。楽しみに待っていろ」

 

 武闘会は年に一度行われる。
 木剣と体術のみで勇猛を競うのだ。
 昔は軍人のみ参加可能だったが、近年は庶民の参加も許されている。

 

 貴族の用心棒である従者や従僕は、そこで己の腕を証し、さらなる出世を狙う。

 

 貴族にとっても一大イベントだ。
 強靭な従者を雇うことがステータスだからである。

 

 3位以上の入賞は職業軍人らにほぼ占められるが、毎年レンもいいところまでいく。
 去年は決勝にまで食いこんだ。

 

 そのことを知っているからか、マーガレット様がにわかに青くなった。

 

「も、もういいでしょうアイザック。お屋敷に帰りましょう」
「かしこまりました、お嬢様」

 

 アルトゥが穏やかに口を挟んだ。

 

「マーガレット様。絵のほうはいかがなされますか」
「そ――そうね」

 

 

 マーガレット様は、ちらりとわたしのほうを見た。

 

 本当はわたしの絵など欲しくないだろう。
 けれど一度買うといった手前、取り消すことはできない。
 侯爵令嬢として、矜持に悖(もと)る。

 

「いただくわ。アイザック、受け取りなさい。お代はいつものように」
「ありがとうございます」

 

 アルトゥは微笑する。

 

 わたしはうつむいた。
 きっとあの絵は、悪意のもとに切り刻まれ捨てられるのだろう。

 

 そして恐らく、マーガレット様は取り巻きたちに、わたしの絵を買わないよう働きかける。
 父君のフィルオ侯爵もそうするだろう。

 

 これから先、絵は一枚も売れないかもしれない。

 

 

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