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 サンヴィア門から城壁を出て、処刑人小道に至る。
 このような陰鬱な場所に、あの美しい花が住んでいると思うと、胸が塞いだ。

 

「あの小屋です。よろしいですか、先ほども説明いたしましたが、いまから殿下は私の遠縁です。名はユール・コルヴィット。秋から冬にかけて、都暮らしを経験するためにやって来たということにします」
「うむ、承知している」

 

 緊張で、右手と右足が一緒に出ている。
 東屋の庭先で、小柄な人影が佇んでいるのが見えた。木漏れ日に輝くその髪は、なめらかな銀。

 

 チェルシーだ。
 唐突に、心臓が早鐘を打ち始めた。思わず胸もとをつかむ。

 

 庶民の服を纏う彼女は、それでも伯爵令嬢時代の美しさを失っていなかった。
 土で汚れた頬が陶器のようにすべらかで、逆に色気を感じさせる。

 

 まだチェルシーはこちらに気づいていない。
 ロレンスのあとにつきながら、コクリとのどを鳴らした。

 

 チェルシーは真剣な顔で前を見据えていた。
 木の棒を3本立て、そこに縄を結び、なにかを吊るしている。
 白いそれは、バタバタと暴れていた。赤いとさかと黄色いくちばしが見えた。

 

 あれは、鶏か? 鶏の足を縛って、逆さづりにしている。

 

 ああチェルシー。そなたは鳥を飼っているのか。動物が好きなのだな。今度、美しい声でなく小鳥を下賜しよう。

 

 しかし次の瞬間、チェルシーは右手の包丁でもって、文字通り鶏をシめた。
 ヒッと、私は体を引き攣らせた。

 

 惨状。
 まさに、惨状である。

 

 チェルシーがこちらに気づき、振りむく。
 エプロンが赤く汚れていた。

 

「ロレンスか。まもなく昼飯にしようと思っていたところだ。おまえも食べていくか?」

 

 ヤりたては美味いぞ。
 可憐に微笑みながら、チェルシーは嬉しそうにいった。

 

 ああチェルシー。
 そなたはなんと、逞しくなったのだ。

 

 ある種の喪失感を覚えつつ、3秒後、私はバタンと気絶した。
 鶏の血を見たのは、生まれて初めてだった。

 

 

 

 

「軟弱な男だな」

 

 チェルシーの声だ。
 火の爆ぜる音も聞こえる。
 まぶたの向こうで、複数の話し声が行き交っていた。

 

「やはり王侯貴族は甘やかされて育つものなのだな。いやでも、ロレンスは気絶しなかったからそうでもないのか」
「オレは昔、興味本位で1週間山奥でサバイバル生活を送ってみた経験があるからね。チェルシーこそすごいじゃないか。貴族の婦女子方は、鶏の調理なんて絶対にできないよ」
「子爵家嫡男がサバイバルなんてしてんじゃねーよ。チェル、こいつは特例だ。参考にすんなよ」

 

 ああ、レンの声もする。
 やはりこやつは嫌いだ。声を聞くだけでむかむかする。

 

 その声が、ごく小さいものに変わった。

 

「ロレンス。いったいなにを考えてる」
「なんのことかな」
「どう見てもこいつ、ユーリス・アートラッドだろ。なにが遠縁だ」

 

 王族に対してなんと無礼な物言いだ。
 ロレンスは含み笑いをしたようだった。

 

「おまえの想像に任せるよ」
「遊んでるな。遊んでるだろ。ロレンスにとって、神羅万象すべからくオモチャだもんな」
「心外だな。オレは可愛いチェルシーが幸せになれるよう心を砕いているんだよ。そして臣民として、殿下の御為になるよう取り計らっているだけさ」

 

 さすがはロレンスだ。それでこそ我が友人である。
 一方レンからは、ため息が聞こえた。

 

「ロレンス様の二枚舌には、毎度のことながら畏れ入りますよ。――おい、あんた。ユールっていう設定だったか。そろそろ目を開けろ。いつまでもタヌキしてるんじゃねえ」
「む。べ、べつに寝たふりをしていたわけじゃないぞ」

 

 私は慌てて起き上がった。たき火の周りを、串刺しにした鶏肉が囲んでいる。
 さきほどの惨状を思い出して、気が遠くなりかけた、が。

 

『軟弱な男だな』

 

 ――耐えた。

 

「起きたのかユール。気分はどうだ?」

 

 レンの向こう側から、チェルシーが顔を出した。とたんに耳が熱くなる。
 私が倒れている間に、例の設定でもって紹介済みなのだろう。

 

「だ、大丈夫だ。もう元気だ」
「そうか、よかった」

 

 笑う。
 花びらがほころぶように。

 

 ああ、もっと彼女を見たい。手前の長身がジャマだ。
 私は意を決して、声を上げた。

 

「ち、チェルシー。そなたの隣へいってもいいだろうか」
「あ?」
「構わないぞ。来るといい」

 

 不機嫌なレンとは裏腹に、チェルシーは気さくに隣を指し示す。

 

 このようにやわらかい雰囲気の彼女を、初めて見た。
 王宮内の逢瀬では、臣下の目があったから、素が出せなかったのだろう。

 

 私はいそいそと、そちらに腰を下ろした。

 

 ふわりと、チェルシーから甘い香りが漂ってくる。
 香水だろうか。
 いや、このような野性的な暮らしで香水を纏えるとは思えない。
 だとしたら彼女から自然に立ちのぼる匂いなのだろう。

 

 心臓が破裂しそうだ。
 それなのに頭の中はぽーっとして、ゆるゆるだ。

 

 桜色の指先が、串を取る。愛らしく微笑みながら、私へ差しだした。

 

「塩と香草で味付けしただけだから口に合うかわからないが、食べてみてくれ。レンやロレンスには好評なんだ」
「あ、ああ……」

 

 チェルシーは本当に私の顔を覚えていないようだ。
 一抹の切なさが胸をよぎる。
 やはり、レンのことが好きで、婚約破棄を招くためにあの一夜を演じたのか。

 

 だとしたら男らしく、きっぱりと彼女のことは忘れて、他の女性らに目を向けるべきだ。
 彼女のためにも、私のためにも。

 

 目の奥が痛くなってきた。
 涙が出そうになって、慌ててうつむく。
 指摘されたらたき火の煙のせいだと弁明しよう。

 

 鶏肉は、美味だった。
 今まで食べたどの宮廷料理よりも美味だった。

 

 塩と香草のバランスが絶妙なのか、シめたばかりだからなのか、チェルシーの手料理だからなのか。
 その理由を深く追求することを、私はあえて、しなかった。

 

 

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