前へ 表紙 次へ

 

「やれやれ、王子殿下の元婚約者という肩書きは、まるで呪いだな。
 君もそう思わないか、レン?」

 

 ロレンスがグラスを傾けつついった。
 オレは眉を寄せる。

 

「その王子殿下を堂々と連れてきた奴はだれだよ」

 

 チェルシーは寝室で泥のように眠っている。

 

 ロレンスは王宮にユーリス・アートラッドを送ったのち、夜に再びみやげ片手にやってきた。
 古びたダイニングテーブルに高級ワインは不似合いだが、舌にからむまろやかさは最高だ。

 

 新市街の画廊を回ったが、1枚も売れなかった。
 さすがのチェルシーもこたえたらしく、口数の少ない夕食の後、早々に寝室へ引きこもった。

 

「オレは忠実な臣下だから、切ない恋心に涙する殿下を放っておけないんだよ」
「あのガキが自分から婚約を蹴ったんだろ」

 

 あの甘ったれた顔を思い出すたびイライラする。
 王子の権力で婚約を強引に取りつけておいて、チェルへの嫌がらせを放置したあげく、たった一度の夜遊びで大騒ぎして突き放した。

 

「そのうえで、正体を偽ってのこのこと姿を見せる厚顔さが気色悪い」
「殿下のことがムカついてしかたないなら、さっさとチェルシーを自分のものにして、公言してしまえばいいじゃないか」

 

 ロレンスは頬杖をついてやわらかく笑む。

 

 こいつは本当に、見た目によらず性格が悪い。
 オレは無言でワイングラスをかたむけた。

 

「恋する殿下の目の前で、チェルシーに口付けでもしたら成敗完了だ。
 一介の従者が第四王子から愛する少女をみごと奪還。
 知り合いに大衆紙の記者がいるから、そいつに美談に仕立てあげるように話をつけておくよ。
 なに、礼はいらないさ。
 可愛いチェルシーの笑顔ひとつで充分だ」
「そういうのは好きじゃない」
「ふふ。紳士だな、レンは」

 

 ロレンスはグラスをテーブルに置いた。

 

「で、首尾は?」
「……。なにが」
「野暮なことをいわせるなよ。
 チェルシーと一緒に住みはじめて何日経つ?
 しかもサウスリール伯爵公認の同棲らしいじゃないか。
 据え膳どころじゃないだろう、色男」

 

 涼しい顔しやがって、こいつ絶対にわかっていってやがる。

 

 ユーリス・アートラッドは大嫌いだが、ロレンスにあっさり騙されていいように遊ばれていることに関しては、同情の余地があった。

 

「そのよく回る二枚舌と底意地の悪い脳みそを、別のことに役立ててくれ。
 ――マーガレット・リーズだ」
「ああ、昼間いってた侯爵家のご令嬢だな。
 チェルシーを婚約者の座から蹴り落として、最近はご満悦だと聞いていたけど。
 なにかあったの?」
「チェルが絵で生活しようとしているのがバレた。
 その結果がコレだ。アイザックのやつも、チェルに乱暴なことしようとしやがった。
 伯爵家の後ろ盾がないとわかって、実に好き勝手やってくれる」
「アイザックって……ああ、マーガレット様の従者。
 オレはああいう一本気な男のこと、けっこう好きなんだけどね。
 アルトゥ・トレザーの画廊は買ってくれるっていってなかった?」

 

 オレはため息をついた。

 

「豪商だからな。
 貴族の圧力に屈しないってのは立派だが、いかんせんお目が高すぎる。
 4枚持っていって買い取ってくれたのは最初の1枚だけだ。
 チェルの感性を褒めてはいるが、褒めっぱなしでダメ出しもなく絵を突きかえしてくる。
 あれはおまえと同類のタヌキだよ」
「へえ。じゃあオレも本気になれば、大商人になれるかな」
「パトロンは王子殿下だな。大成功確実だ」
「マーガレット・リーズね」

 

 ロレンスは話をもどした。

 

「いいよ、わかった。覚えておくよ」
「頼む」
「でもべつに絵なんて売れなくてもいいじゃないか。
 実業家の評価なんか気にせずに、自由にのびのび描けばいい。
 従者のレン・イーリィといえば去年の武闘会で準優勝を果たした猛者だろう。
 サウスリール伯爵はおまえにいくらの給金を渡してる? 
 チェルどころか、子どもが5、6人増えたところでビクともしないはずだ」
「チェルシーがイヤがる。
 従者から金は受け取らないってな。
 むしろオレに給金を払いたいらしい」
「ええ?」

 

 ロレンスはさも愉しそうに肩を震わせた。

 

「それってレン。
 おまえ、ひとりの男として見てもらえてないってことじゃないか」
「嬉しそうだな、ロレンス」
「フレット家に仕えて何年だ?
 下働きから始まって、従僕、従者ときてざっと15年ほどか。
 それだけ下積みが長いと逆に不利なんだな。
 可哀想に」

 

 テーブル越しに、オレの肩を叩く。

 

「呑みたい時はいってくれ。
 いつでも付き合うよ。
 オススメのバーがあるんだ」
「そういえばおまえ、いかがわしい呑み屋をチェルに教えんなよ」
「ああ、これはダメだな。
 恋人というより父親だ。
 それじゃダメだよレン。
 女性には安心感を持たせ過ぎちゃダメなんだ。
 少しの危機感が恋のスパイスになるんだよ」
「そういうのは好きじゃないっていってるだろ」

 

 顔をしかめると、ロレンスは笑った。

 

「真綿でくるんで大切に護るのがレンのやり方か。
 愛される女性は幸せだろうな」
「それはどーも」
「マーガレット・リーズの従者、アイザック・ハワードのことで、ちょっとした噂を聞いているよ」

 

 レンのグラスにワインをつぎ足して、ロレンスはいった。

 

「シガールームでの俗言だから、真偽はわからない。
 ただ最近、マーガレット嬢がアイザックを解雇して、新たな従者を雇おうとしているらしい」
「……アイザックを?」

 

 『――マーガレット様を侮辱するな』

 

 真剣な顔でそういったアイザックを思い出す。
 融通の利かない男だが、忠誠心は本物だった。

 

「マーガレット嬢は、より強い従者をご所望のようだ。
 なんでも、先日とある場所で恥をかかされたことが理由らしい。
 さて、どの男をスカウトしようとしているのやら」

 

 ロレンスはワインを口に含みながら、薄く笑った。

 

 

前へ 表紙 次へ

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る