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「まとまった……だと……?!」

 

 晴れた日の庭先である。
 ユールは雷に撃たれたかのように、全身を震わせた。

 

 大袈裟な反応だなと思いつつ、わたしはレンの隣で小さくうなずく。
 こういうのは、やっぱり恥ずかしい。

 

 ロレンスはにこにこと祝福してくれた。

 

「ひと目みていつもと様子がちがうなと思ったんだ。
 チェルシーが幸せそうで、オレも嬉しいよ」
「ありがとうロレンス」
「じゃあオレとユールは紅葉狩りでもしてくるから、1、2時間席を外すね」
「それならみんなで一緒に」
「チェルはここにいろ。察してやれ」

 

 丸太から立ち上がりかけたところを、レンに引きとめられた。
 複雑な表情をしている。

 

 ユールの丸まった背中には、なぜか暗雲が垂れ込めている。
 ロレンスがその背をなだめつつ、小道の奥へ促していった。

 

「いったいどうしたんだユールは」
「大人への第一歩だな」
「レンはなにか知っているのか?」
「いや、別に」

 

 2時間後、ユールたちが庭へ戻ってきた。
 わたしは絵を描き、レンは桶で洗濯をしていた。

 

「だ、大丈夫かユール」

 

 ユールはヨロヨロだった。
 まるで生まれたての仔馬のようだ。
 ロレンスに支えられつつ、わたしのまえで立ち止まる。

 

「チェルシー……」

 

 兎のような目で、ユールはいった。

 

「チェルシーはいま、幸せなのだな?」
「あ、ああ。そうだな」
「昔より……伯爵家にいたころより……王子と、こ、婚約をしていた時より、幸せなのだな?」
「ああ、いまが一番幸せだ」

 

 嘘偽りなく、チェルシーはこたえた。
 ぶわっとユールの目から涙があふれでる。

 

「ど、どうしたユール」

 

 ロレンスが苦笑しつつ、ハンカチで涙をぬぐっている。
 ユールはいった。

 

「私は……私は、これほど悲しい思いをしたのは、生まれて初めてだ」
「ユール?」
「そして、これほど誰かの幸せを願ったことも、生まれて初めてだ」

 

 ユールがわたしの手を握り、目を覗きこんだ。

 

「そなたには笑顔が似合う。太陽の下で笑っているのが似合う。いつまでもずっと、そういうそなたでいてくれ」

 

 なぜユールが突然こんなことをいいだしたのか、わからない。
 でも本心からの言葉だということだけはわかった。

 

 同年代の男がボロボロ涙を流している姿など、見たことがない。

 

「ありがとう、ユール」

 

 自然と笑みが零れた。

 

「ユールにだって、笑顔が似合う。とても綺麗な青色の目だ。どうか笑ってくれ。心につっかえることがあるのなら、話してくれ。いつでも力になろう」
「チェルシー……」

 

 ユールは感極まった様子で、嗚咽をもらした。
 ロレンスが彼の背中を宥めていた。

 

 

 別れ際、赤く腫れた目でユールがいった。

 

「そういえば絵はどうなった? マーガレットのせいで売れないという話だったが」
「まだ売れない。ジュナ画廊だけは4枚に1枚くらいの割合で買ってくれる。とにかく腕を磨こうと思う」
「そうか……。ひとつの画廊でしか売れないとなると、厳しいな」
「まだ貯金もあるし、なんとかなる。いざとなったら外で働くつもりだ。レンが口うるさいがな」

 

 ユールはなにかを考えこんでいた。

 

 ――マーガレット様の従者、アイザックが血相を変えて飛びこんできたのは、次の日の深夜のことである。

 

 

 

 

「扉を開けろ、レン・イーリィっ」

 

 草木も眠る深夜2時。

 

 扉が激しく打ち鳴らされた。
 ただでさえ薄くボロい扉だ。このままでは吹き飛ばされてしまう。
 レンは慌てた様子で開けにいった。
 わたしもケープを羽織り、レンの隣で外を覗う。

 

 そこには長い髪を乱したアイザックが立っていた。
 いつもの無表情は無残に崩れ、激しく肩を上下させている。

 

 レンは眉をひそめた。

 

「なにがあった?」
「ま、マーガレット様はこちらへおいでになったか」
「来てないが……」

 

 アイザックはがくりと両手を膝に着いた。
 かすれた声でいう。

 

「そうか……。騒がせた」

 

 踵をかえすところを、レンが引きとめる。

 

「待てよ。マーガレット様がどうかしたのか」
「貴様には関係ない」
「夜中にたたき起こしておいてそれはないだろ。おまえ、酷い顔色だ」

 

 アイザックは眉を歪めた。
 苦痛をこめて、いう。

 

「マーガレット様が、お屋敷にいらっしゃらない。湯あみ後に出奔されたようだ。『探さないでちょうだい』という書き置きがなされていた。マーガレット様の字でまちがいない」
「なんだと?」

 

 レンが険しい声を出した。

 

 わたしは慌てて壁時計を見た。
 深夜2時11分。
 ご令嬢が出かけるような時間ではない。

 

「屋敷の者が総出で探している。きっとすぐ見つかるだろう」

 

 そういいながらも、アイザックの目は不安に揺れている。

 

「王都警備隊に連絡は?」
「していない」
「なぜだ。まずそこだろう。誘拐でもされたらどうする」
「お館様が、嫌がられた。外聞が悪いと。万が一夜遊びをしていたらもみ消しに手間がかかると」
「あの娘にしてこの親ありか」

 

 レンは舌打ちした。

 

「協力する」
「貴様の手は借りん」
「ここまで聞いて、お嬢の身になにかあれば寝覚めが悪い。おまえを助けるわけじゃない。ただ人探しをするだけだ」

 

 レンはわたしを振りかえった。

 

「ロレンスの屋敷まで送る。そこで待っていてくれ」
「わたしも一緒に探す」
「駄目だ」

 

 そういわれると思っていたから、おとなしく引き下がった。
 自分が足手まといになることくらい、わかっているつもりだ。

 

 けれど、嫌な予感がした。
 マーガレット様と会ったのは、レンを勧誘しに来たのが最後だ。
 あの時彼女は、ひどく情緒不安定にみえた。

 

 アイザックに尋ねた。

 

「なにか心あたりは? こうなった原因はあるのか?」

 

 アイザックは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「昼間に、ユーリス殿下からお呼びたてがあった。マーガレット様はとても嬉しそうに出かけられた。しかし殿下は、厳しい表情でこう仰ったのだ」

 

『チェルシー・フレットの絵が売れないと聞いた。何者かが画策しているとも』
『そなたの所業だな』

 

 即刻事態をもとに戻せ。
 そして、チェルシーに謝罪しろ。

 

 わたしの体から、ざっと血の気が引いた。

 

「ど、どうしてそんなことを、殿下が」

 

 鋭い視線で射抜かれる。

 

「どうしてだと? おまえが殿下に泣きついたのだろう。それしか考えられん」
「わたしはそんなことしていない。婚約破棄を言い渡されて以来、お会いしていないんだ」

 

 混乱しつつ首を振る。
 アイザックはわたしのいうことを全然信じていないようだ。

 

「マーガレット様がそう画策したのは事実だ。しかしもとはといえばおまえがユーリス殿下をかすめとったことに端を発している。王室に相応しいレディになるため、マーガレット様がどれほど努力なされていたか。そしておまえとの婚約を知り、どれほど嘆き悲しまれたか……!」
「わ、わたしはかすめとってなどいない!」

 

 レンがわたしとアイザックの間に体を割りこませた。

 

「やめろアイザック。何度もいうが婚約と今回の失踪の件は、チェルシー様の意志と無関係だ。婚約は王子殿下の独断専行、失踪は残念なお節介だ。とにかく早く探しに行くぞ。一人で街をうろついて、悪漢に見つかると厄介だろ」

 

 アイザックは真っ青の顔でうなずいた。

 

 

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