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「そんなことがあったのか……」

 

 深夜の帰路に人影はない。
 石畳に靴の音が響いた。

 

「アイザックはおまえとタイプのぜんぜんちがう従者だな」
「あいつに似てると判定を受けたら舌噛んで死にますよ」
「わたしはやっぱり、マーガレット様のことが嫌いだ」

 

 ケープの前合わせを引きよせる。

 

「アイザックのことも好きじゃない。でも、大事にならなくてよかったと思う。アルトゥやロレンスと一緒にいてよかった」
「チェルシー様も、マーガレット様とまったく似てないですね」

 

 レンは微笑した。
 わたしはうなずく。

 

「当然だ。わたしは夜中に一人で出歩いたりなどしない」
「そういう意味じゃなくて。まあ、そういう意味でもいいですけど」

 

 レンは曖昧ないい方をした。

 

「ま、チェルシー様がアルトゥやロレンスと一緒に深夜こっそり出かけたらオレだって怒りますけどね」
「アイザックのように引っぱたくか?」
「ロレンスなら100歩譲って許しましょう」

 

 レンの指が、わたしの髪にからんだ。

 

「けど、アルトゥは駄目です」

 

 そのボーダーの意味は、わかるようなわからないような。

 

「あとは念のため、ユールも」

 

 そっちのほうは全然わからない。

 

「引っぱたくよりもっと酷いことしますよ」
「蹴り倒す気か? 受けてたとう」
「ったく、色気のないお嬢様だ」

 

 レンはため息をつく。
 口もとには苦笑が浮かんでいた。

 

 いろいろあったが、これでジュナ画廊以外にも絵が売れるようになるだろう。
 満天の星の下で、レンの手がわたしのそれを取り、指をからめた。

 

 

 

 

 3日後、突然数人の男性がドヤドヤと押しかけてきた。
 わたしとレンは、庭で絵を描き畑を耕していた最中だった。

 

「よーしこの家か」
「こりゃやりがいがあるなぁ」
「おーい、材木こっちに置けー」
「あ、どーもー。家主さんですか?」

 

 男性のうちのひとりがこちらへやってくる。
 クワを置いて、レンがまえに立った。

 

「なんの騒ぎだこれは」
「えっ、聞いてないですか? この家の修繕を請け負ったんですけど」
「修繕?」

 

 冬を越すためにこのボロ家を直しておこうという話は、以前した。
 でもレンの驚きかたを見ていると、どうやら彼が手配したのではなさそうだ。

 

 軍手をはめながら、業者の男は笑顔を見せる。

 

「2日前くらいかな。やたら綺麗なブロンドのお嬢さんと、やたら不愛想な長髪の男がやってきて、この家の修繕を申し込んでいかれたんですよ。名乗ってもらえなかったんで困りましたけど、まあ住所も聞きましたし、お代金は前払いでいただいていますから。早速始めてもいいですか?」

 

 わたしとレンはぽかんとした。
 その人物像に、心あたりがあるにはある。
 けれどにわかには信じがたかった。

 

 先に我に返ったレンが、口をひらく。

 

「あ、ああ。じゃあ頼む。家具がまだ置きっぱなしになってるから、運ぶの手伝ってもらえるか」
「いいですよ。お客さんはスーパーあったか加工プレミアムをお申し込みの上客さんだ。チップもいっぱい頂いちまった。いっぱいサービスさせてください」

 

 わたしはレンと顔を見あわせた。
 こういうやりかたは、マーガレット様らしいといえば、らしいのかもしれない。
 いまさら顔をつき合わせて言葉をもらっても、お互い気まずいだけだ。

 

 

 

 

 少ない家具を庭に出し終えた。
 そうするとやることがなくなった。
 庭は材木などに占拠されているため、親方にことわって散歩に出かけることにした。

 

「ジュナ画廊に行かないか? 勉強のために、絵を見たい」

 

 ジュナ通りを歩いていると、向こうのほうから子供の泣き声が聞こえてきた。
 いわゆるギャン泣きというやつだ。

 

 通行人が眉をひそめたり、苦笑したりしつつ、子どもとその親を通りすぎていく。
 子育ては大変だな、と思っていると、そのふたりに見覚えがあった。

 

「アルトゥじゃないか。どうしたんだ?」
「ああ、チェルシーにレン」

 

 ジュナ画廊のオーナー・アルトゥは、ほっと表情をゆるませる。
 いつも悠々としているが、いまは額に汗を浮かべていた。

 

 かたわらには、3歳くらいの男の子がひっくりかえって手足をバタバタさせ泣き叫んでいる。
 たしかココという名の、アルトゥの姉の子だ。
 しゃがんで頭を撫でてみても、よりいっそう声が大きくなるだけだった。

 

「懐かしいぜ。チェルシー様も2、3歳のころはこんな感じだった」
「参ったよ。昨日あたりから機嫌が悪くてさ。一度こうなると、30分は動かないんだ。早く姉さん帰ってこないかなぁ」
「姉君は旅行に行かれてるんだったな。だんだん寂しくなってきたんだろう」
「ああ、それもあるかもしれない。とりあえずいまは、そこの店のチョコレートバーが欲しいってゴネてるんだ」

 

 菓子店だ。アーモンド入りのチョコバーは、わたしも大好物だから気持ちはわかる。

 

「ただココは虫歯になりやすくてね。姉さんからチョコレートやキャラメルは食べさせないようにいわれてるんだ」
「そういうことか。うーん、難しいな」

 

 ココは身も世もなく泣き叫んでいる。
 通行人の目はいよいよ冷たい。

 

 レンは肩をすくめる。

 

「天下のトレザー文庫創始者サマでも、子どものぐずりには敵わないか」
「非軍人でありながら武闘会準優勝のキミでさえも、この事態を沈静化するのは難題だろう?」

 

 ――そうだ、チョコがダメなら。

 

 わたしは革袋から『図解・庶民のくらし』を取りだした。
 ページを繰って、目的の項目を指でなぞる。

 

 うん、これならできそうだ。

 

「アルトゥのキッチンを貸してくれないか」
「どうしたの、急に」
「チョコレートバーの代わりになるおやつを作りたい」

 

 本をしまって、ココに笑いかけた。

 

「おいで、ココ。おいしいおやつを一緒に作ろう」

 

 

 

 

 おやつを一緒に作る。
 この言葉に、揺らがない子どもはいない。
 ウキウキするココに、エプロンを着せた。

 

 豪商のキッチンはだだっ広いカウンター型だ。
 普段はコックが使っているらしく、材料や鍋の場所は彼が教えてくれた。

 

 カウンターの向こう側で、アルトゥとレンが興味深そうに覗きこんでいる。
 ココのために踏み台を用意して、調理に取りかかった。

 

 スライスしたかぼちゃを茹でて、バターを常温にもどす。
 やわらかくなったかぼちゃと牛乳を器に入れて、ヘラでペースト状にする。

 

 もうひとつ器を用意して、そこに常温バターと黒砂糖を泡立て器で混ぜあわせる。
 泡立ってきたら溶き卵を落とし、さらに混ぜる。
 これをかぼちゃの器に流し入れた。

 

「うわあ、いい匂いがしてきた」

 

 ヘラでぐちゃぐちゃにしながら、ココが目を輝かせる。
 わたしはふるった小麦粉をそこに加えた。

 

 ペースト状になったそれを、適当な大きさにちぎって丸い形に押し潰す。

 

「よし、これであとは焼くだけだ」

 

 コックに頼み、窯で焼いてもらった。
 甘い香りが満ちてくる。

 

 焼き上がって、コックが天板を引き出した。
 ココは手を叩いて歓声を上げた。
 できあがったかぼちゃクッキーは、文句なしにおいしかった。

 

 

 

 

 極上のホットコーヒーを味わう。
 トレザー家の応接室は、すべてが豪華だ。

 

「今日は本当に助かったよ」

 

 アルトゥはしみじみといった。
 ココはお腹が満足したらすぐに寝てしまった。

 

「子どもって大変だね。僕ひとりじゃどうにもならなかった。チェルシーはすごいな」
「わたしがすごいわけではない。この本に書きとめてあるのは、使用人などから聞いた庶民の知識だ。すごいのは彼らだ」
「ああ、そういえば最初に絵を売りに来た時もそれを見てたね。ちょっと貸してもらってもいい?」

 

 アルトゥは興味深そうに本をめくった。

 

「なかなか面白いね。レシピだけじゃなくて、家計のやりくりや掃除のしかた、布類の繕いかたまで網羅されている。子育てのしかたなんてのもあるんだ。チェルシーは子ども欲しいの?」
「そうだな、子どもは好きだ。とても可愛い」
「僕でよければいつでも協力するよ」
「オイこら」

 

 レンが顔をしかめている。
 アルトゥはページをペラペラと眺めた。

 

「これ1冊あればいつでも一人暮らしができそうだ。主婦や僕みたいな即席パパにも役に立つね。イラストも豊富だし、質もいい。さすが画家だね」
「ああ、自信作なんだ。だから家宝にしようと思ってる」
「あはは、なにこのイラスト。目つきの悪い猫」

 

 アルトゥが指さしたのは、逆三角の目をした黒猫だ。
 寝そべりながら図の解説をしている。

 

「そういう脱力系のキャラクターを作るのが、近頃若い娘の間で流行っているらしいんだ。ゆるキャラというらしい。わたしも作ってみた」
「へえ、そうなんだ。初めて聞いたよ。それにしても偉そうな猫だね」
「モデルはレンだ。だからレンねこという」
「た、たしかに似てる」

 

 アルトゥは吹き出している。
 レンねこの存在をすでに知っているレンは、眉を寄せるにとどめていた。

 

「ああ、やっぱりいいな。この本、最初見た時から気になってたんだけど、やっぱりいいよ。ねえチェルシー、ひとつ提案があるんだけど」

 

 アルトゥは貴公子然とした笑みを浮かべて、とんでもないことをいった。

 

「この本、トレザー文庫から出版してみない?」

 

 

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