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 恐ろしいことに、話はトントン拍子に進んでいった。
 若き実業家アルトゥ・トレザーは、才あり余る手腕をいかんなく発揮した。

 

 仕事ができる男はちがう。
 『図解・庶民のくらし』を彼に預けて、3日後には「写し終わったから」
 と返却され、印刷された見本ができたのはその2か月後だった。

 

 季節は冬、マフラーと手袋の時期である。 

 

 修繕済みの我が家は隙間風を通すことがない。
 床が貼りかえられ壁紙が追加された。

 

 客を呼んでも恥ずかしくない仕様になっている。

 

「おお、ちゃんと図も完璧に再現されている……!」

 

 原本と見本を見比べて、感動した。

 

「我が社の社員は優秀だからね。そうそう、いくつか誤字脱字があったから、見本では直させてもらったよ。どうだいレン君。レンねこの出来栄えは」
「……。いいんじゃねえの」

 

 レンはじとっとした目でレンねこを見下ろした。
 イラストにそっくりの目だ。

 

「『庶民のくらし』っていうタイトルはちょこっと挑発的だから、『くらしのポケット図鑑』というタイトルにしておいたよ。庶民でも手が出るように、装丁は革で装飾はナシ。トレザー文庫は八折版だから、持ち運びもしやすい。あと、今回初めての試みなんだけど、インデックスをつけてみたんだ。目次があれば『あのレシピが見たい』っていうときにすぐ見られるだろう?」
「おおもくじというのか、これは便利だな」

 

 やはり天才実業家はちがう。
 トレザー文庫のフォントも、アルトゥが作ったらしい。
 いかに美しくかつ読みやすくできるかに命をかけているということだ。

 

「これは売れるよ。僕が売ってみせる」

 

 アルトゥの言葉通り、『くらしのポケット図鑑』は大ヒットした。

 

 わたしはレンとともに、印税の額に慄いた。
 加えてレンねこの人気がヒートアップ。

 

 流行は、レンねこの画集を注文されることから始まった。
 ぬいぐるみなど、数々のキャラ小物へ発展。
 最終的にはファンイベントまで開催される人気となった。

 

「ありえねぇ……」

 

 この事態に誰よりもげっそりしているのはレンだ。

 

 冬の武闘会に出た。
 レンねこの人気はすさまじい。
 観客席は女子一色に染まり、黄色い声援が飛び交った。

 

 やけくそになったレンは対戦相手をつぎつぎになぎ倒していく。
 最終的に、平民初の優勝をもぎとったのであった。

 

「おのれレン・イーリィ。来年こそは倒す!」

 

 アイザックは準々決勝でレンに敗れた。

 

 去年は5秒で沈んでいる。
 今年は15分という長丁場だった。

 

「決勝相手の軍曹よりアイザックのほうがキツかったぜ」

 

 控室で傷に薬を塗りこみながら、レンはいった。
 包帯を巻くのを手伝おうとしたが、「自分でできる」と断られてしまった。

 

 アイザックは渋面になる。

 

「世辞はいらん」
「世辞じゃねーよ。おまえの怨念じみた力がすごかったんだよ」
「しかし貴様、なんだあの声援は。女ばかりではないか、破廉恥な」
「知らねーよ」

 

 絵の売り上げより、本やレンねこの印税のほうが遥かに多い。
 わたしとしても、複雑な気分である。

 

 

 

 

 武闘場の貴賓室である。
 私はソファに身を沈めていた。

 

「武闘会はいかがでしたか、ユーリス殿下」

 

 恭しく一礼しつつ、ロレンスがいう。

 

「うむ……。みなの研鑽の成果が垣間見れて、非常に良い闘いであった」
「優勝はレン・イーリィでしたね」
「……。あの大声援は一体なんだ」

 

 去年は従者群に歓声など上がっていなかった。
 婦女子の注目は騎士団にばかり集まっていたはずだ。

 

「ご存知ないのですか? レンねこですよ」
「チェルシーの著書に出てくるあれか」

 

 100冊買い占めたことは記憶に新しい。

 

「レンねこが可愛いと女性のあいだで大人気になったんです」
「……可愛いか?」

 

 あの目つきの悪いねこが?
 ロレンスは微笑した。

 

「というわけなので、レン自身の人気が上がっているわけではないですよ。熱狂的なマニアもいるそうですが、少数派です」
「そうであろう。あやつは性格が悪いからな」

 

 こんなことで溜飲を下げている自分。
 むなしい。

 

「レンですか? 私の友人のなかでは、優しいほうですよ」

 

 ロレンスが首をかしげた。

 

「ただ最近は、チェルシーのことがちょっと心配かな。トレザー文庫はペンネームではなく、チェルシー・フレットの名で本を出したんです」
「なぜそれが心配に繋がるんだ?」
「チェルシーの過去が掘りだされてしまったんですよ。夜遊びから婚約破棄に至る一件です。加えて、レンねこのモデルが従者だということも露見してしまった」

 

 私は眉を寄せた。
 嫌な予感がする。

 

「レンとチェルシーが恋仲だということは、一見してわかります。殿下と従者をもてあそんだ稀代の悪女というわけだ。しかも、従者を利用してレンねこでひと山稼いだ」
「し、しかしチェルシーはレンねこの生みの親だろう。原作者は普通、人気者になるのではないのか?」
「ゴシップを鵜呑みにして、本気で騒ぎ立てる輩はどこにでもいますから。そういう輩に限って、熱狂的なのです」

 

 ロレンスは苦笑する。

 

「まあ、レンが近くにいる限り大事には至らないと思いますけどね」

 

 チェルシーの言葉が脳裏によみがえる。

 

 ――足を引っかけられたり、針や画びょうを仕込まれたことは何度もあるよ。
 ――レンがいてくれなかったら傷だらけになっていた。

 

 もしまた、同じようなことが起こってしまったら。

 

 ロレンスのいうように、レンが近くにいたなら良い。
 でも、少し離れたスキに、ということもある。
 なにしろいまのチェルシーは伯爵令嬢ではない。
 後ろ盾がないのだ。

 

「チェルシーはいまどこにいる?」
「出場者の控室だと思いますけど」

 

 今日の歓声はすさまじかった。
 胸騒ぎがする。
 私は立ち上がった。

 

 

 

 

 出場者の出入り口は裏にある。
 しかし使えるのは騎士団だけだ。
 一般の出場者は観客と同じ通路から出る。

 

 私の予感は当たった。
 通路は人でごった返し、混乱のさなかにあった。
 いるのはレンねこグッズを手にしている婦女子ばかりだ。

 

「うわあ、すごいなこれは」

 

 ロレンスがため息をつく。
 オロオロしている衛兵にいった。

 

「なぜレンを裏口から出さなかった」

 

 珍しく、険しい声だ。
 衛兵はしどろもどろにこたえる。

 

「い、いえ、その、指示がなかったものですから」
「使えないな。責任者を呼んで来い」
「は、はっ!」

 

 衛兵は敬礼して走り去っていく。
 私は茫然と、人ごみを見た。

 

「あの中にチェルシーがいるのか」
「おそらく、真ん中の一番危険地帯にいるかと思われます」

 

 ロレンスは舌打ちする。

 

「あれではいつドミノ倒しになってもおかしくない。いくらレンでも、街娘らに乱暴なことはできないでしょう。私がいきます。危ないですから殿下は貴賓室にお戻りください。そこのおまえ、ユーリス殿下をお連れしろ」

 

 娘らの歓声がこだまする。

 

 ――レンー! こっちむいてー!
 ――チェルシー可愛いー!

 

 どうやらレンねこだけでなく、チェルシーのファンもいるようだ。
 しかし中には、チェルシーに怒りの声を向ける者どももいる。

 

 ――なによあの女。
 ――ユーリス殿下をコケにしてレンを利用してのしあがった悪女のくせに。

 

 じょじょに、怒りの声が大きくなる。
 恐らく、輪の中心でレンがチェルシーを護っているのだろう。
 それがさらに、嫉妬をあおっている。

 

 レン自身のファンは少ないと聞いた。
 けれど集団になるとどうなるかわからない。

 

「いったいどういう騒ぎなのですか、これは」

 

 いつのまにか、マーガレット嬢が来ていた。
 侍女と従僕をともなっているが、アイザックがいない。
 まだ控室にいるのだろう。
 あの騒ぎではなかなか出られないはずだ。

 

「まあ……。あの本の人気は聞き及んでおりましたが、見苦しい騒ぎですね」

 

 漏れ聞こえる声を拾って、マーガレット嬢は眉をしかめた。

 

 ――なによ、あの女。作者だからって偉そうに。
 ――あんなのただのビッチじゃない。そこからどきなさいよ! レンねこがみえないでしょ?!

 

「ああ、チェルシーはとことん女難だな」

 

 ロレンスが私を振りむく。

 

「殿下、貴賓室へお早く」
「待て、ロレンス」

 

 集団が殺気を帯びてきている。
 私はほとんど無意識にまえへ出た。

 

「――静まれ!」

 

 声を張り上げる。
 ロレンスをはじめ、周囲を囲んでいた衛兵などが一斉にひざまずいた。

 

 それに驚いて、街娘らはこちらを見る。

 

「無防備な者らを取り囲み、怨嗟の声で攻撃するとはなんたる所業だ。恥を知れ、そして我が雄壮なる王国の民である誇りを思い出せ」

 

 声がやむ。
 とまどいを含んだ、いくつもの目が私を見ている。

 

 やがてとまどいが動揺に変わった。

 

「ちょっとあれ、ユーリス殿下じゃない? ほら見てあの服とマント」
「ええっ、な、なんで殿下がこんなところにいらっしゃるの」
「ちょっとヤバくない? 王子殿下、お怒りじゃない?」
「だ、だってあの女は殿下を裏切ったんでしょ? じゃああたしたちじゃなくて、あっちを怒るべきじゃないの?」
「――不敬だぞ、おまえたち」

 

 片膝をついたまま顔を上げ、ロレンスがいった。

 

「殿下の御前だ。最敬礼をとれ」

 

 娘らはハッとして、その場で両膝をついた。
 雪崩のように崩れた人垣の奥に、レンとチェルシーが立っていた。

 

 ふたりとも茫然と、私を見ている。

 

「ユール……?」

 

 チェルシーがつぶやいた。
 やがてレンに引っぱられ、地面に膝をつく。

 

 私はいった。

 

「みなの者、よく聞け」

 

 天井の高い通路が、静まりかえる。

 

「今後いっさい、チェルシー・フレットに手を出すことは許さぬ」

 

 マーガレット嬢は、私の斜め後ろで両膝をついている。

 

 いまでも、過去を悔いている。
 だから、今しなければいけないことがある。

 

「私との婚約に関する流言はすべて虚偽だ。正当な理由でもって、両家納得のうえで白紙に戻した次第である。そうだな、マーガレット・リーズ嬢」
「――はい」

 

 マーガレットは首肯した。
 人垣の奥で、アイザックが心配そうな視線を送っている。

 

「チェルシー様に関するこたびの悪評は、わたくしが流したもの。すべて虚いつわりでございます」

 

 娘らだけでなく、衛兵からもざわめきが起こった。
 マーガレットは頭を垂れる。

 

「すべてはわたくしの不徳が致すところ。数々の心ない行為、この場を借りて謝罪させて頂きたく存じます。ご処分はいかようにも。すべて殿下とチェルシー・フレット様のご裁可に」
「良い」

 

 私はうなずいた。

 

 侯爵家令嬢が庶民のまえで頭を下げている。
 彼女はすでに罰を受け、内省している。
 諸悪の根源は私なのだ。

 

「再度、みなに申し渡す」

 

 だから今度こそ、彼女を護ろう。
 これが罪滅ぼしになるとは思わない。
 だが少しでも、チェルシーに降る悪意が減るように。

 

「今後いっさい、チェルシー・フレットに手を出すことは許さぬ。この者に害をなした者は、アートラッド王家を敵にしたと思え」

 

 みなが深く頭を垂れた。
 チェルシーとレンも、そうしていた。

 

 私はマントを翻し、ロレンスを伴ってこの場を去った。

 

 

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