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 街娘らが刷けるまで、控室にいることになった。
 わたしは茫然としたまま、椅子に腰かける。

 

「レン。あれは、ユールだったよな」
「そうですね」

 

 レンはテーブルに腰を預ける。

 

「ユールはユーリス殿下だったのか?」
「そういうことになりますね」
「レンは知っていたのか。ロレンスも?」
「ええ」
「……そうだったのか」

 

 ユールと殿下が重ならない。
 ユールは気弱ですぐ泣いて、心優しい印象だった。
 ユーリス殿下は独善的で厳しいお人だと認識していた。

 

 どちらが本当の彼なのかわからない。
 けれどいま見た彼は、ユールでもありユーリス殿下でもあった。

 

「人はわからないな」

 

 片側だけでは、わからない。

 

「マーガレット様にも、驚いた。あのように謝罪される方だとは思っていなかった」
「オレはなんとなく、わかります。バーでアイザックとのやりとりを見た時、少し印象が変わった」
「そうか」

 

 自然と、微笑が浮かんだ。

 

「でも、よかった。わたしはいま、とても暖かい気持ちだ」

 

 レンの掌が頭をぽんと撫でた。
 顔をあげると、唇に口付けが落ちる。
 肩を抱かれて、身を預けた。
 そっとレンの舌が唇をなぞり、口付けが深くなる。

 

 ――直後、勢いよく扉が開かれた。

 

「無事か、チェルシーっ」
「と、父様?!」

 

 レンが瞬きの速さで身を離した。
 父様はゼイゼイ肩で息をしている。

 

「ろ、ロレンスが使いをよこして、チェルシーが嫉妬に狂った街娘たちに踏みつぶされて殺されそうになっていると聞いたのだ! 大丈夫だったのかチェルシー! ケガはないか?!」
「え、ええ、大丈夫です。けど、ええと、どうして父様はこんなところに?」
「だからロレンスが使いをよこして」
「それは聞きました。殺されそうになっているとは大袈裟ですが……。わたしがいいたいのは、その」

 

 父様はわたしの肩をつかんでいる。
 その目は動揺しきってゆれていた。

 

 父様の背後には、母様が立っている。
 侍女と従僕を伴い、苦笑を浮かべている。

 

 ここまでくると、わたしがいまからする質問は、馬鹿げているようにも思えた。

 

「わたしは、勘当されたはずでは」
「そのようなこと関係ない!」

 

 ぎゅっと抱きしめられる。
 実家の懐かしい匂いがした。

 

 母様が声を滑りこませる。

 

「あれはチェルの幸せを思って決断したことよ。おまえが貴族社会に馴染まないことはわかっていたわ。あのあとお父様がどれほどチェルを心配していたか、想像してごらんなさい」
「し、しかし」
「絵と、レンがあれば、おまえはきっと自分ひとりで幸せを見つけていける。チェルならば友人もたくさんできるでしょう。わたくしは心配ないと思っていたのだけれど、お父様はずっと寝不足が続いていたのよ」

 

 父様がわたしの顔を覗きこみながら、頬をなでる。

 

「少し傷がついているな。痩せたんじゃないのか? ちゃんと食べているか。おいレン、おまえ食費を充分に使い切っていないんじゃないか。なんのために多く渡していると思ってる」
「お食事は充分に。お痩せになったのではなく、引き締まられたのです。お嬢様はよく動くようになられた」

 

 いつの間にレンは床に片膝をついている。
 わたしを見て、いった。

 

「チェルシー様。いままで黙っておりましたが、オレは定期的にお館様に手紙を送っていました。チェルシー様の現状をお伝えするようにと、命を受けておりましたゆえ」
「え?」

 

 父様の腕に力がこもる。

 

「おまえがマーガレット様らに嫌がらせを受けているのは知っていた。けれど、伯爵家という弱小貴族の私が、王家傍流である侯爵家に物申すことができなかった。王子殿下に訴えることも、できなかった。私ではおまえを守れない。だからせめて、自由にしてやりたいと思っていた」

 

 ほほ、と母様が扇で口もとを隠す。

 

「こちらが夜な夜な計画を編んでいたのに、おまえが勝手に夜遊びをしてレンと出奔してしまうのですもの。天晴な娘ですこと」

 

 わたしは茫然とした。
 言葉が出てこない。

 

 ――給金はいままでどおり、お館様が払ってくださる。
 ――やめておけ。親心だ。

 

 レンの声が、脳裏をめぐった。

 

「……わたしは」

 

 いまのいままで、考えもしなかった。
 両親がこれほどまでに、わたしのことを思ってくださっていたことを。

 

「父様、母様。ごめんなさい」

 

 涙が零れた。
 父様を抱きしめかえす。
 きっといま、子どもみたいな泣き顔になっている。

 

「ごめんなさい。ありがとうございます」
「チェルシー」

 

 父様も泣いていた。
 レンは優しく微笑を浮かべている。

 

 わたしは、生かされている。
 自分ひとりではないことを、深く知った。

 

 

 

 

「レン、覚えているか。私の厳命を」

 

 小道の我が家に案内したところ、父様が低くいった。
 目が据わっている。

 

「想い合っていたとしても、婚前に手を出すことは断じて許さんと」
「もちろんでございます」

 

 レンは素早く首肯した。
 父様の目がきらーんと光る。

 

「指一本触れておらんだろうな」
「すべて仰せの通りに」

 

 口付けは、手を出したことにならないのだろうか。
 しょっちゅう抱きしめられてもいるが。

 

 わたしたち家族はソファに座り、レンたち使用人は傍らに控えている。
 ほほ、と母様が扇を開いた。

 

「堅苦しいことを仰って。恋人ならば互いの肌を味わい合うのは当然のことではないですか」
「か、母様?」
「お、おまえ!」

 

 父様とともに、動揺しまくった。
 レンは無表情に徹している。

 

「そ、その話は置いておくとしてだな」

 

 自分からふっておいて、父様は方向を変えた。

 

「この先をどうする、チェルシー。聞けばユーリス殿下は心を改められ、マーガレット様は謝罪をされたそうではないか。誤解はすべて解かれた。おまえがよければもう一度、我が家に戻ってこないか?」

 

 わたしは迷う間もなく首をふった。

 

「いいえ、父様。わたしはこのままここで暮らそうと思います」

 

 父様は落胆したように肩を落とす。

 

「申し訳ありません。ですがいまの生活がとても楽しいのです。友人と呼べる者たちもできました。絵も売れていますし、本も2作目を予定しています。勝手ではありますが、いまのままの暮らしを続けさせていただきたい」
「そうか……」

 

 肩を落としたあと、父様はキッとレンを見上げた。

 

「いいなレン。定期報告を忘れるな。そしてくれぐれも一線を越えるようなことをするなよ」
「承知しております」
「父様。レンのことなのですが、今後給金はわたしのほうから払わせてください」
「な、なに?!」

 

 父様は動揺した。

 

「い、いかん! レンはわたしが雇っているのだ。クビにするまでは私の使用人だ。おまえではない」
「いえ、でも」

 

 自分の頬が赤くなるのがわかった。

 

「レンはわたしのこ……恋人、です。だから父様の使用人とされているのはおかしいと思うのです。それにいま、印税のおかげで生活にゆとりがありますので」
「いかーん! レンは配下のままにしておく! 私の傘下から出たらおまえに何をするかわかったものではない!」

 

 父様はおかしな方向を危惧しまくっているようだ。
 レンが咳ばらいをした。

 

「オレの希望を申し上げてよろしいでしょうか」
「む、む……。おかしなことをいうなよ、レン」
「はい。しばらくはいまのままでいさせて頂きたいと思います。そしてゆくゆくは、従者の辞職を考えております」
「ええ?!」

 

 またしても父様とともに動揺してしまった。
 レンは静かに片膝をつく。

 

「お嬢様との結婚を、お許しいただきたい」

 

 父様は絶句した。

 

「お許しいただければ、私は騎士団へ入団しようと考えています」
「騎士団……?!」

 

 愕然とした。

 

 王国騎士団は、王国軍の中で最も位の高い師団だ。
 最近では、貴族出身でない騎士も増えている。
 腕が認められればのしあがれるのだ。

 

「本日の武闘会で優勝した折、第二王子であらせられる騎士団長閣下よりお言葉を賜りました。優勝者は騎士団の末席につくことが許されるとのこと。僭越ながら、誉れ高き王国騎士団員であれば、サウスリール伯爵家の御名を汚すことはないと考えております」
「た、確かにそうだが……」
「まあ、素晴らしいではありませんか。レンであればすぐに階級を上げますわ。我が家から騎士団員が出るのですよ。家格が上がりますわね」
「し、しかしチェルはまだ17だぞ」
「ほほ。適齢期ではありませんか」
「ぐっ。し、しかし」

 

 父様は懊悩している。
 一方でわたしは大混乱のさなかにあった。

 

「い、いますぐにこたえは出せん! もうしばらく時間をもらう」
「ほほ。娘を手放す覚悟を固める時間ですわね」

 

 ふらふらする父様を支えつつ、母様たちは帰っていった。
 あとにはわたしとレンだけが残された。

 

 

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