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 ずぼずぼと、ブーツが雪に埋まる。
 エリオにしがみつくようにして、獣道を登っていた。

 

 アルノー川の支流の、小さめの滝の裏に、洞窟がある。
 そこに白蓮草が生えている。

 

「大丈夫、ビビ?」

 

 エリオが気遣ってくれる。正直キツいけど、弱音なんて吐いていられない。

 

 さっきから苦しげなロゼッタの顔がチラついている。
 少しでも早く薬草を届けたい。

 

 ゲームのキャラクターを心配するなんて、滑稽かな。
 それでもあたしにとって、いまが現実だ。頬を刺す冷たい風は、本物なのだ。

 

 ビアンカは小柄なので足を取られやすい。
 途中からルカ様におんぶしてもらっていた。う、羨ましい。

 

「ルカ」

 

 エリオが呼びかけた。

 

「赤狼セキロウの足跡がある。風上へ回ったほうがいい」

 

「了解」

 

 このふたりの危機管理能力のおかげで、いくつかの魔獣をやりすごすことができている。ひとりで来なくてよかった。

 

 やがて奥のほうから水の迸る音が響いてきた。
 滝壺が近い。

 

「あった……!」

 

 ゲームの背景にドンピシャの光景だ。

 

 5メートルほどの崖から、川水が勢いよく流れおちている。滝壺は泡立って渦巻き、細かな飛沫が頬を濡らした。

 

「じゃ、行ってくる」

 

 しゅぴ、と片手を上げてあたしは駆けだした。
 滝付近に雪はないが、ツルツルすべる。

 

 滝の裏の洞窟は、崖の中腹にある。そこに至るのは、人ひとりがやっと通れるくらいの道幅だ。

 

 崖面に体をビタリとひっつけて、そろそろとカニ歩きで進む。
 落ちたら滝壺へ真っ逆さまだ。うう、コワイ。

 

「ビビ様!」

 

 ビアンカが怒鳴った。なんであんたが行くんだ、とでもいいたげな声だ。
 イヤだって、なんとなく責任感じるし。
 この道は、めちゃくちゃ怖いけど。

 

 ロゼッタが毒を盛られる可能性を知っていたのは、あたしだけだ。
 こんなことになるなら、ロゼッタにさりげなく忠告しておくとか、毒味の必要性を説いておくとか、しておけばよかった。

 

 自分だけ助かることが、生き残りゲームじゃないんだから。

 

「わわっ」

 

 足がすべった。ビアンカが悲鳴を上げる。
 がしっと岩肌にとりついて、両足をこれでもかというほど踏んばり事なきを得た。

 

 ヘンな汗がいっぱい出た。膝がカクカク笑う。

 

 ヤバい。あたしこれ以上進めるの?

 

「ビビ」

 

 至近距離で、静かな声が耳を打った。
 なんとか振り向くと、エリオが追ってきていた。

 

「横歩きは逆に危ない。普通にしていれば歩ける道幅だから、まっすぐ前を見て」

 

 そ、そんなこといわれても、体勢変えることなんてできないよ。

 

「む、むり。このままいく」

 

「わかった。ゆっくりいこう」

 

 結局迷惑かけちゃってるし。あたしは果てしなく落ちこんだ。
 あー、自己満足のために突っ走って迷惑かける系のキャラ、大嫌いなのになぁ。

 

 でもすぐ後ろにエリオがいてくれると、すごく安心する。

 

 ガクブルだった足が落ち着きを取りもどした。そろそろと前進する。あと半分くらい。なんとか、いけそう。

 

 その時ふいに、強い力で後ろから抱き寄せられた。なに、と聞くよりさきに、上空から「ケェェェン!」と甲高い鳴き声が落ちてくる。

 

「ルカ!」

 

 エリオが声を張り上げた。

 

 あたしは彼の腕のなかで、顔をあげる。両脚は宙に浮いているが、抱きしめられる力が強くて自分で立っているより安定していた。

 

 目に飛び込んできたのは、巨大な怪鳥だった。

 

 両翼の羽ばたきで、突風が巻き起こる。鋭い嘴くちばしを開いて、怪鳥は再び啼いた。鼓膜が引き裂かれそうだ。

 

 あたしはエリオにしがみついた。体中が震える。

 

「え、エリオ」

 

「動かないで」

 

 やわらかい声で、エリオがいう。
 次の瞬間、空気を引き裂く音が走った。

 

 怪鳥の啼き声が変わる。悲鳴だ。

 

 もう一度、鋭い音。さらに高く、悲鳴が大気をつんざく。

 

 あたしは耳を手で塞いで、巨鳥を見た。
 そして、息をのんだ。

 

 30センチはあろう嘴が、1本の矢に貫かれている。
 さらにその下、首もとにも、矢が深々と突き刺さっていた。

 

 キイィィィ、とくぐもった叫びを上げて、怪鳥は一度羽ばたいたのち、ゆっくりと力を失い落ちていった。滝壺から激しい水音が響き、飛沫が大量に跳ねあがる。

 

 視界の端で、ルカ様が弓を下ろした。隣のビアンカは腰が抜けたのか、雪の上にぺたりと座りこんでいる。

 

 ……何、これ。
 こんなの、知らない。
 こんなのゲームになかった。

 

 ガチガチと歯が鳴った。
 まだ耳の奥で、巨鳥の鳴き声が巡っている。

 

「こういうことも、あるから」

 

 エリオがため息をつきつつ、いった。

 

「ひとりで勝手に突っ走らないように」

 

 反論の余地も、ありません。

 

 

 

 

 無事白蓮草をゲットして、老医師に渡した。
 煎じて呑ませたところ、1時間後に呼吸が穏やかになり、唇の色がもどった。

 

 よかった。
 転生して初めて、心の底から安堵した。

 

 結局白蓮草を採りに行ったのはルカ様だった。しっかりフラグは立っちゃったし、好感度もダダ上がりしちゃったんだけど、それはもうしかたない。

 

 あたしはすっかり腰が抜けて、あれ以上進めなかった。エリオに抱えられて後退し、ルカ様にバトンタッチしたのだ。

 

 不覚にも、その間ずっと、あたしはエリオにしがみついていた。
 体の震えが止まらなかった。
 エリオは優しく、抱きしめ続けてくれた。

 

 

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