前へ 表紙 次へ

 

 ―― 時は1年ほど、遡る。

 

 

 

 

 ゴツゴツした赤茶色の岩場。
 三頭狼ケルベロスの群れを追っている最中、都から早馬が届いた。

 

 曰く、新魔女が立った、と。

 

 ぞくりと背すじが粟立った。
 そして、ここ数日感じていた、得体のしれない焦燥感はこれだったのだと悟った。

 

 先代魔女は天寿をまっとうし、72歳で身罷(みまか)られた。
 現聖女は32歳なので、代替わりはまだ先になる。

 

 エリオは馬のたずなを握りしめた。

 

「よし、コンラート」

 

 隣の馬上に書簡を放り投げて、いう。

 

「都へ帰ろう」
「はあ?!」

 

 1つ年下の将軍補佐コンラート・カトラムは、驚愕した。

 

「なにアホなこと仰ってるんですか将軍。いまどういう状況かわかってるんですか」
「もちろんわかってるさ。魔女が身罷られ、新魔女が立った。つまり、黒騎士の再編が近く行われる」
「ええ?!」

 

 コンラートはさらに驚愕する。いちいち型通りの反応をかえす、かわいい側近だ。見た目はただデカいだけの男なのだが、誠実さがにじみでた、人好きのする面立ちをしている。

 

「魔女が立ったからには、オレが帰らないと」
「意味がわかりません。新聖女が立ったならともかく、魔女なら将軍には関係ないじゃないですか」

 

 ロット家は騎士を最も多く輩出する家系である。
 『救聖の騎士』だけでも32名、団長・副団長に至っては100に迫る勢いだ。
 しかしながら、ロット家からはどうしてか、白騎士しか出たことがない。

 

 騎士団において、『狩救』はいわずもがなであるが、団長・副団長も特別な存在である。
 それぞれが魔女・聖女両名による『選定の儀』で任じられ、そこに人の思惑が介在する余地はない。
 しいていえば、選者は神ということになる。

 

 聖女の代替わりに居合わせるロット家の若者は幸福だ、といわれている。
 兄弟のうち、かならずひとりは聖殿に入る者が出るからだ。

 

「聞いてくれ、コンラート。これはオレの主観なんだが、おそらく『魔女狩りの騎士』はオレだと思う」
「そんなことが起こったら、ロット家が卒倒しますよ。冗談でもやめてください」
「冗談じゃないさ。数日前から眼裏まなうらに黒髪の少女が浮かぶんだ。そうすると決まって胸を焦がすような衝動に貫かれる。このタイミングでこの知らせだ。まちがいない」
「どうしちゃったんですか将軍。普段から『一生を神儀殿に拘束される騎士になど興味がない』と仰ってたじゃないですか」
「わかってないな、コンラート」

 

 エリオは端正な顔立ちに笑みを浮かべた。

 

「人は変わるんだよ。いまは、彼女に会いたくていてもたってもいられない」
「はあ。つまり、いつもの気まぐれと女好きが顔を出したというわけですね」
「コンラートからそんなふうに見られていたなんて、悲しいよ」
「オレだけじゃなく、討伐団全体の共通認識ですから」

 

 とにかく、とコンラートはセキ払いした。

 

「いまは目のまえのことを片付けるのに専念してください。三頭狼ケルベロスはまだウヨウヨいるんですから、ちゃんと指揮してくださいよ」
「将軍に申し上げます!」

 

 伝令が馬で駆けてくる。ほら来た、とコンラートはいった。

 

「デカいのが現れました! たぶん親です!」
「やっと出たか。ルカの隊を回せ」

 

 はっ、と返事をして、伝令は再び戦場に戻っていく。
 ちゃんと指示を出したエリオを見て、コンラートは安堵の息をついたようだ。

 

「どうします将軍。オレたちも出ますか? ルカは小隊長に昇格したばかりで、まだ不慣れでしょう」
「いや、ここはお手並み拝見といこう」

 

 エリオは笑みを刻みながら、岩場の奥へ目を向ける。

 

 

 

 

「それでコンラート。おまえの恋人はいまどうしている? ケルベロス討伐に出て3カ月は経過しているだろう。淋しがっているのではないか?」
「いや、オレのことはいいですから」

 

 コンラートは耳を赤らめた。

 

 討伐団約100名が、岩場を駆けまわって無数のケルベロスと戦っている。
 男らの大声と剣戟の音が響きわたる。

 

「大事な部下の大切な女性のことなんだ。上官のオレが気にするのも当然だろう。マメに書簡を送っているか? 女性はつねにそばで護ってくれる男を好きになるものだ。間男に取られて泣きを見るなよ」
「セルマはそんな軽い女ではありません!」

 

 ギッと睨みつけてくる。一途な男だ。微笑ましい。
 エリオは思った。コンラートの恋人に手を出そうとする男がいたら、ただちに失脚させよう。

 

「そんなことよりルカ隊が大変なことになってますよ。早く指示を出してやったらどうですか」
「ん? ああ、そうだな。ここまでか」

 

 もうすこしねばってくれると思ったのだが。
 ルカ・フリッカーは貧村出身の17歳だ。都の料亭に出稼ぎにきていたところを、エリオが直接スカウトした。酔客の乱暴をおさめた手腕が見事だったからだ。

 

 身のこなしは軽く、拳は正確かつ強靭。正義感が強く、度胸もある。
 将の器と直感した。討伐団に組み入れ、少しの実戦ののち小隊長に任じた。

 

「コンラート。直下の兵を連れて、助けにいってやれ」
「はい。……って、あれ?」

 

 コンラートが目を見開く。

 

「将軍、大変です! ルカ隊の1名がデカいのに咥えられて拉致られてる真っ最中です!」
「ああ、本当だ。人質にでもするつもりかな。奴ら、知能も高いから困りものだね」
「ルカ隊8名が救出に向かった模様です。あっ、ケルベロスが森に逃げこみました」
「罠だな。コンラート、伝令を飛ばせ。深追いさせるな」

 

 コンラートが困ったように眉を寄せた。

 

「将軍、もう遅いです。ルカ隊8名、救出のために森へ突入しました」
「しかたないな。血気盛んなのは若者の愛すべき特徴だ」
「将軍とルカ隊長は1歳しかちがわないのに、悲しいことですね」
「オレがジジむさいといいたいのかい、コンラート」
「はい」
「なるほど、君は良い補佐官だ」

 

 ぽん、と馬上を介して彼の背を叩く。

 

「それじゃあオレは森にいってくるから、あとのことを頼んだよ」
「はあ?! ちょ、なにするつもりですか!」
「優秀な補佐官なら、上官の意をくみ取ってもらいたいな」

 

 エリオは馬首を森へ向けた。

 

「可愛い部下を助けにいくに決まってるじゃないか」

 

 

 

 

 8人対50頭である。
 やはり、罠だった。

 

 鬱蒼とした森は、日の光もまばらだ。
 馬は森の入り口につないである。大木に身をひそめながら、エリオは様子をうかがっている。

 

 一段高い大岩の上から、勝者のごとく屹立するのは一際大きな三頭狼ケルベロスだ。
 強靭な前脚で人質を踏みつけ、目下もっか睥睨へいげいしている。

 

 彼の下では、人と獣が交戦していた。圧倒的な数の利を誇るのは獣側だ。くわえて人間側は人質をとられているため、思い切って動けない。
 ルカ隊はケルベロスに取り囲まれ、噛みつかれ引き裂かれ次々に倒れていった。獣らがとどめを刺さないのは、あとで新鮮な血肉を喰らうためだろうか。

 

 最後に残ったのは、予測どおりルカ・フリッカーだ。
 両手で剣をかまえ、不屈の闘志をみなぎらせ、ルカは目前に迫る獣らを睨み据える。
 ケルベロスたちは、ルカを強敵とみとめたのか、じりじりと間合いを計っていた。

 

 興味深い戦いだな。
 観戦していると、ふいに背後から声が上がった。

 

「なにやってんですか、将軍。早く助けにいきましょう」
「指揮はどうした、コンラート」
「下に任せてきました。うわあ、派手にやられたなぁ。裏から回って、大岩のヤツをやります」

 

 剣を抜きかけたコンラートの手を、エリオは制止した。

 

「待て。もう少し観戦しよう」
「はあ?!」

 

 ケルベロスたちが一斉にルカへ襲い掛かった。
 ルカは応戦するが、剣を振り下ろすと、生々しい呻きが人質の口から零れでる。大岩のボスが人質の背を爪で引き裂くのだ。そのたびに、ルカの動きは制限される。

 

 ルカは地面に倒れこみ、転がりながら爪と牙を防いだ。けれどすべてを避けきれず、細かな傷が次々に刻まれていく。同時に、コンラートの顔色も蒼白になっていった。

 

「いやヤバいでしょこれ。ルカ、死んじゃいますよ。オレいきます」
「いいからもう少し見ていよう。ほら、ルカの反撃が始まるよ」

 

 ルカはやられているように見えて、実は倒れるたびに小石を拾っていた。それがいくつか溜まったとき、大岩のボスに連続で小石を打ちこんだ。
 正確無比な石礫はボスの両目を無残に抉った。彼はたまらず人質から脚をのけ、転がりまわって悶絶する。
 さらにボスの周囲にいたケルベロスへも石を打ちこみ、戦闘能力を失わせる。次に剣を引きぬいて、目前の獣を斬り裂いた。

 

 コンラートは舌を巻く。

 

「すごいな」

 

 足枷ひとじちから自由になったルカは、まさに無敵だった。流れるような剣捌きですべてのケルベロスを地に沈める。
 剣を収め、軽やかに大岩を駆け上がり、兵士を担ぎ上げた。

 

 やにわに、口をひらく。

 

「将軍。コンラートさん。終わりましたよ」

 

 コンラートはぎょっとしたようだ。エリオはにこにこしながら木陰から出た。

 

「素晴らしい戦いだったよ、ルカ」
「す、すまん。助けようと何度も思ったんだが」

 

 エリオとコンラートも大岩を昇る。

 

「オレが君の戦いを見たくて、コンラートを抑えつけていたんだ。おかげで良い戦いが見られたよ。でももっとスマートに勝ってほしかったな。せっかくの色男が傷だらけじゃないか」
「貴方って人はまた爽やかな顔してそういうことを」
「いえ、本当のことなので」

 

 ルカは気分を害した様子もなく、部下に腕を回して立ち上がった。ルカ自身もケガをしているので、少しよろけている。

 

「将軍やコンラートさんなら、もっと簡単に勝てたと思います」
「うーん、将軍はともかくオレはどうかなぁ」

 

 コンラートは自信なさそうだ。

 

「そうだね、オレならそもそも、ケルベロスに部下を奪われたりしないよ」
「あールカ。この方は人をムカつかせる天才だから、あんまり気にしないように」

 

 コンラートが、ルカの部下を引き取って肩にかつぐ。

 

「はい。ありがとうございます」

 

 ルカは笑った。そこに、挑発的な色が加わる。

 

「戦技の練達には場数が重要というのがオレの持論です。元農民のオレが戦に出たのは最近だ。もっと場数を踏めば、スマートな戦いを披露する自信がありますよ。そう、将軍を超えるくらいに」

 

 コンラートは絶句する。エリオは笑みを浮かべた。見た目によらず、豪胆だ。気に入った。
 しかし残念だが、ルカ。

 

「100年経っても、その日は来ないよ」

 

 

前へ 表紙 次へ

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る