ネット小説 【雪細工】 第2章(1)

第1章【4】 ネット小説【雪細工】 第2章【2】

 

 カトリナは孤児だった。
 けれど6歳のとき、裕福な商人に引き取られた。50に差しかかった、白いひげをたくわえたジェントリである。独身で、身寄りのない子どもをたくさん引き取っていた。
 立ち姿はスラリとして、威厳に満ちていた。救貧院の生活は厳しかったので、引き取られるのは嬉しかったが、カトリナは彼が怖かった。無口な男で、いつも仕事に忙殺されていた。義理の姉妹がたくさんいて、彼女たちとすぐに打ち解けられたことが、せめてもの幸いだった。
 義父との関係が変わったのは、家族みんなで馬乗りに行った時だ。
 カトリナはまだ小さかったから、義姉のキャシーと二人乗りをしていた。義父の私有地は広く、野原と森と、湖があった。穏やかなピクニックになるはずだった。
 けれど馬が突然狂ったように暴走して、キャシーが振りおとされた。カトリナは悲鳴も上げられず、馬の首に必死でしがみついた。激しくぶつかる風の中、目を開けると、目前に大木が迫っていた。もうだめだ、と思った瞬間、横から体が強く押された。そのまま抱きしめられて、もつれるように落下した。
 姉たちの足音と声が耳を叩く。顔をゆっくり上げたら、義父が、カトリナを守るように抱きしめていた。
 額から血がたくさん、流れていた。

 

「痛いところは、ないか?」

 

 カトリナがうなずくと、よかった、と微笑んて、そのまま義父は気を失った。震える手で、義父の体に触れた。熱い涙が零れて、彼の頬へ落ちた。
 義父は全身打撲とあばら骨折で、全治3か月の大怪我だった。一方カトリナはほとんど無傷だった。
 この日以来、カトリナは義父に心を許すようになった。毎日彼の部屋を見舞い、一日中、そばにいた。微笑まれ、微笑み返した。大事にされているということを、初めて知った。

 

 

 幸せは、繊細なガラス細工でできている。少しでも触れれば崩れ落ち、二度ともと通りにならない。
 あれから数年後、カトリナのガラス細工は砕け散った。
 雪の降る冷たい夜だった。裸足で屋敷を逃げ出した。とめどなく流れる涙は、雪よりもつめたかった。
 ひとけのない、細い道で、カトリナは転んだ。そのまま指一本動けなくて、自分はここで死ぬのだと悟った。
 こんなに冷たく、悲しい場所で。

 

 

 

 

 またしても、最悪の夢見だった。
 ベッドの上で、ひたいに手をあててため息をついた。腕が震え、汗をびっしょりとかいている。こんなことで仕事に身が入るはずもない。
 そこで、気分転換に市場へ買い物にでかけた。野菜が並ぶ露店を眺めていると、会いたくない男にばったり会ってしまった。

 

「投げナイフを買うつもりなら、いい店を紹介してやるぞ。腕が三流でもうまく投げられるらしい」
「それはどうも」

 

 憎まれ口に、そっけなく返す。彼はカトリナの横に立ち、トマトを手に取った。カトリナは肩をすくめる。

 

「堂々と万引き?」
「バカ、買うんだよ。最近はもう盗みはやめた。今は給料も入るし」
「キミ、仕事してるんだ」
「おまえよりはマトモな仕事だ」
「ウソだ。キミみたいな素人がいたら、へこむよ」
「おまえがスキだらけなんだよ。それはそうとオレはディーンだ。キミキミ言うな」
「めんどくさいなぁ」
「おっさん、これ二つ」

 

 紙袋を受け取って、その中からディーンは、トマトをひとつ取り出した。

 

「ほら、やるよ。栄養補給」
「……。どうも」

 

 トマトをかじった。瑞々しい甘みが広がる。
 ディーンは苦笑した。

 

「ここで食うなよ」
「だって貰ったら食べるでしょ、普通」
「道ばたででかい口開けやがって」
「トマトは大きく開けなきゃだめでしょ普通」

 

 昨日ナイフを突きつけた相手と、なぜ和やかに喋っているのだろう。
 カトリナは息をついた。

 

「……疲れてるからだ、きっと。おかしくなってんだ」
「大変そうだな」
「ディーンのせいでね」
「じゃあトマトはお詫びの品ってことにしてくれ」

 

 安すぎる。抗議しようとした時、不意に背後からディーンを呼ぶ声がした。

 

「ディーンさんっ! 大変だよ!」
「おまえ、ピートの仲間の……。どうした?」

 

 駆けてきたのはまだローティーンの少年だった。顔面蒼白の状態だが、見たことのある顔だ。「ピートの仲間」ということは、窃盗団の一人だろうか。
 残念ながらここでしょっぴくにはディーンが邪魔だ。

 

「裏街の廃屋がいきなり火事になって。放火かもしれなくて、それで、ピートがまだ中にいて、逃げられないんだ。火消しを呼んだんだけど、裏街だってことで、本気で対処してくれなくって、まだ到着してないんだよぉ……! ディーンさんどうしよう、ピートが死んじまう!」

 

 ……火事。
 キン、と鋭い針が頭蓋を刺した。火事。炎。
 放火。

 

「わかった。すぐに行く。ピートは助けるから、おまえは泣くな。落ち着け。現場はどこだ?」
「廃教会の向かい側だよ。ディーン、ピートを助けて」

 

 少年は目をこすりながら答える。直後、カトリナの足は無意識に、駆け出していた。

 

「おい、待て!」

 

 ディーンの声が、追いかけてくる。耳には入るが、頭まで届かない。

 

 

 

 

第1章【4】 ネット小説【雪細工】 第2章【2】

 

 

 このページにしおりを挟む
 トップページへ戻る